@kedamatti's diary

米山知宏の思考メモです(専門は、知/情報/自律的な組織づくり/プロジェクトマネジメント/ナレッジマネジメント/コミュニケーション/オープンガバメント/民主主義/市民参加/シビックテック)

政策立案パターン・ランゲージ:自ら「知」を生み出すプロセスを通じた「学習」と「組織変革」

昨年(2019年)の夏から、「政策の作り方を作る」という活動を新潟市役所と新発田市役所の有志メンバーと行っている。

以前から知人と「地域シンクタンク」を作りたいという話をしていたのだが、テーマを検討する中で「行政が良い政策を作るためにはどうすればよいのか、何が必要なのか」というところに双方の問題意識があったので、「政策の作り方を作る」ことを地域シンクタンクとしての活動の最初のプロジェクトとすることにした。

この記事では、背景と実際にやっていることを紹介したい。

▶「政策の作り方」を言語化しようと考えた背景

なぜ政策の作り方を行政職員と一緒につくろうとしているのか、という背景について述べたい。

●政策立案に関する知の技術的側面への偏り

「政策の作り方」に関しては、これまでにも学術的な検討も行われているし、関連の書籍も多数出されている。それらからは学べることは多いが、「分析の仕方」や「データ活用の仕方」など政策立案の技術的な側面に焦点が当てられているものが多い。政策立案に強い関心を持つ職員には読まれているかもしれないが、そのような職員は一部であり、現実の政策立案そのものを変える素材になりえていないのではないかと感じていた。

実際の組織においては、人間関係(その意味での政治性)や組織の慣習・カルチャーなど、政策立案プロセスに影響を与える様々な要素があるのであり、政策立案プロセスの質を高めるには、分析の仕方などの「技術的な知」のみならず、「技術的ではない知」も作っていかなければならないのではないかと感じている。

※ちなみに私個人としては、そのような技術的な知も大好物である。

●「こうすれば良い政策を作ることができるだろう」という仮説がない or あったとしても組織の中で共通のイメージとして共有されていない

もうひとつは、「こうすれば良い政策が作られるだろう」という仮説がないままに、もしくは、そのような仮説が組織として共有されることがないままに、なんとなくの空気感だけで政策や事業が作られているという問題がある。

仮説がなければ、ふりかえったり検証されたりすることもなく、改善されることはない。その結果、盲目的に同じやり方を続けてしまってはいないだろうか。

以上の問題意識から、

  • 政策立案プロセス(特に予算編成プロセス)に関して、
  • 「現場で行われている目の前の業務」と「学術的知見・理論」との間を接続する知を
  • 現場の職員自らの手で生み出していくこと

が重要だと考えたのが、このプロジェクトの発端である。

▶「知」とはなにか?

では、言語化しようとしている「知」とはそもそもなんなのか。

「「知」とはなにか」という話は昔から議論されていることで、色々な捉え方ができるものではあるが、個人的には「知識」と「情報」という2つの視点から捉えるのがもっともシンプルだと考えている。

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「知」とは、基本的には「こうすればこうなるだろうという仮説」(上図で言う「知識」)である。天気に例えるならば、「きれいな夕日が見えているので、明日は晴れるだろう」という類のものである。何かしらの行為をするためには、そのような仮説が不可欠であり、政策立案パターン・ランゲージプロジェクトで生み出そうとしている知である(「知」のもっとも小さな定義は、上図の「知識」に該当すると考えている)。

一方で、「すでに存在している事実」を言語化した「情報」も重要である。同じく天気に例えるならば「今日は夕日が見えている」というものであるが、「情報」が重要なのは、「<情報>の蓄積」が「未来の行為につながる<知識>」を生み出す源泉になっているからである。その意味で、「情報」も「知」を構成する重要な要素であることを強調したい(広義の「知」=「知識」+「情報」)。

※詳細は、以前書いた下記のブログを参照いただきたい。

blog.copilot.jp

▶「知」をどう生み出すか

では、そのような「知」はどう生み出せばよいのか。 知を生み出すアプローチにも様々なものがあるが、「過去と未来という時間軸」(下図の横軸)と「具体と抽象という知の性質軸」(縦軸)の2つを意識すると知を生み出しやすくなると考えている。

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図:Emergent Learning Table(出典:Marilyn Darling, Emergent Learning_ A Framework for Whole-System Strategy Learning)

この図は、「創発的な学習プロセス」(Emergent Learning)をモデル化したもので、縦軸は「Thking - Facts & Events」という軸、横軸は「Past - Future」という軸で整理されている。

このサイクルはぐるぐると循環し続けるものだが、基本的には、左下の「Ground Truth(基盤となる真実)」から、つまり、事実を共有することからスタートすると良い。 まずは、「過去の事実・出来事」(左下:Past × Facts & Events)を共有した上で、同じことはなにか?違うことはなにか?意外だったことはなにか?ということをふりかえり、気づきを言語化する(左上:Past × Thinking)。

それら過去(左側)に関する知をもとに、新しいアイデアや思考がないか検討した上で(右上:Future × Thinking)、未来の具体的なアクションを定めていくという流れである(右下:Future × Facts & Events)。

※同様のことを以前こちらのブログに書いていたので、ご関心あればお読みください。

blog.copilot.jp

このようなサイクルを経ることで、必要な「知」を自ら作り出しやすい状態になるのではないかと考えている。中でも重要なポイントは「事実の共有」(上図の左下)で、政策立案パターン・ランゲージプロジェクトでも、そこを意識した設計をしている。ここからは、パターンづくりのプロセスについて書きたい。

▶パターンを言語化するプロセス

パターンの言語化は、以下のような流れで実施している。

1)事実の共有(起こっている出来事と、行っていること) 2)現状の政策立案プロセスに対するふりかえり 3)パターン化したい論点の抽出 4)論点を「状況」「問題」「解決策」「結果」の観点で深堀りする 5)文章化

全体的な検討の進め方の土台は、KJ法をベースにしている(下図)。 そこに、ふりかえりに関するいくつかのアプローチ(タイムラインとプラスデルタ)を組み合わせた上で、 パターン化(上記4)の部分は、慶応大学の井庭先生の各種書籍や資料を参考にしている。

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図:KJ法のアプローチ

以下では、それぞれのプロセスで実施していることをもう少し詳細に説明したい。

1)事実の共有(起こっている出来事と、行っていること)

まず、最初のプロセスでは「事実の共有」を行っている。具体的には、4月〜3月の1年間で政策立案プロセス(予算編成)について行われていることを時系列に洗い出している(「タイムラインの作成」と呼んでいる)

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なぜ、最初にこの作業をやっているのか。それは、このプロセスが「政策の作り方」を作っていく上で最も重要な作業だと考えているからである。

  • 可視化しないと、自分がやっていることすら全体像を捉えることはできないから
  • 他の人がやっていることは、さらに理解できないから
  • 時間軸で事象をマッピングすることで、物事の関係性(共通点・相違点や因果関係など)が把握しやすくなるため

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上図のように、同じ事象でも、みんな別々の側面を見ている。 各自が見ている視点(図内の矢印)を洗い出した上で、なるべく立体的に・正確に事象を捉えるのが、このプロセスの目的である。

※なお、パターンを作るためには複数回の打ち合わせが必要だが、その過程で、実際の政策立案プロセスにも動きがあるので、このタイムラインも一度作って終わりではなく、毎回の打ち合わせの冒頭にアップデートするようにしている。

2)現状の政策立案プロセスに対するふりかえり

次は、上記のタイムラインを見ながら、下記の視点で現状の政策立案プロセスに対するふりかえりを行っている。

  • 良かったこと、継続したいこと
  • 困っていること、改善したいこと

改善点を洗い出すだけではなくて、「良かったこと、改善したいこと」も洗い出しているのは、現在行われている政策立案プロセスの中に残すべき知があるかもしれないからである。ただそれが、もし存在していたとしても個人の中に閉じてしまっている可能性が高いために、この場で表出してもらうことを意図している。

3)パターン化したい論点の抽出

次に、上記2)のふりかえり結果を踏まえて、パターン化したい論点を抽出している。 参加者1人ずつ、共有したいノウハウや課題感が強いものからいくつかの論点を書き出してもらっている。

参加者各自からあげてもらった論点を下記のような形で構造的に整理し(これはまだ仮の粗い整理だが)、ここから深堀りをしたい論点を選択してもらっている(次の4のプロセスも2-3人のグループで行っているため、深堀りしたい論点の選択もグループ単位で行っている)

この論点の全体像は、今後議論を重ねていく中で成長させていきたい。 論点の質をあげるとともに、常に全体の関係性を捉えながら、議論を進めていければと思っている。

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図:論点の全体像

4)各論点を「状況」「問題」「解決策」「結果(実現したい未来)」の観点で深堀りする

次に、各論点を「状況」「問題」「解決策」「結果(実現したい未来)」というパターンの形式で深堀りをしていく。

ここの進め方は、基本的には、井庭先生が書かれている書籍であったり、下記のPattern Writing Sheetを参考にさせていただいているが、思考しやすくするために、いくつかの視点を加えている。

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図:Pattern Writing Sheet (出典:http://creativeshift.co.jp/wp/wp-content/uploads/PatternWritingSheetInstruction0.90.pdf

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図:政策立案パターン・ランゲージプロジェクトで用いている「パターンの要素の洗い出し方」

5)文章化

このプロジェクトではこれから実施するところだが、最終的には、上記で洗い出したパターンの要素を文章化していく予定である。

これは、文章化することで、「仮説」としてのパターンの本質を捉えやすくなるとともに、ロジックの正しさ・妥当性を確認することができるからである。付せんでアイデアを出していた段階ではなんとなく良さそうに見えていたものであっても、実は漠然としていることが多い。文章にすることで、仮説の本質と穴が見えてくる。

以下はKJ法を生み出した川喜田二郎氏の言葉であるが、まさにその意味で、文章化(≠箇条書き)をしていきたいと思っている。

たとえば図解すると、一応はいかにもわかったような気がする。ところが、図解の意味を口のなかでつぶやいてみるとときどき説明がつながらず、行き詰まる。そのときに図解の誤りを発見し訂正するきっかけができる、ということは暗示的である。
なぜなら、つぶやくということは、一種の鎖状発展の関係認知法だからである。また、つぶやきとか会話と同様に、文章を書くというのも、その鎖状発展である。(略)したがって文章化したならば、図解のときにもっともだと思った理解のしかたについて、ときどき誤りを摘発することができるわけである。
(出典:川喜田二郎「発想法」、p128)

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f:id:kedamatti:20200118095235j:plain 図:パターン・ランゲージのアウトプット (出典:井庭崇「対話のことば」、p14)

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このようなプロセスで、現在、政策の作り方をそれぞれの行政職員有志と言語化しているところであるが、このやり方自体も仮説に過ぎない。検討を進めながらブラッシュアップしていきたい。

▶パターン・ランゲージづくりの先に意図しているもの:自ら「知」を生み出すプロセスを通じた「学習」と「組織変革」

最後に、このプロジェクトの先に何を考えているのか、ということを書いておきたい。

このプロジェクトでやっていることは、具体的なアウトプットとしては「良い政策の作り方に関するパターン」になるが、単にパターンを言語化することがゴールではない。その裏には「学習」と「組織変革」も意図している。その理由は以下である。

●組織的な学習レベルの低さ

組織がより高い成果を生み出していくためには学習の質を高めることが不可欠であるが、現状では、多くの行政組織において「質の高い組織的な学習」が行われていないのではないかと感じている(この問題は、行政組織に限った話ではなくて、民間企業でもある)。たとえば、呪文のように唱えられる「OJT(On-the-Job Training)」は本来は重要な学習プロセスであるはずだが、実際は「これまでやってきたやり方をそのまま新人にコピーすること(かつ、暗黙的な形で)」以上の意味ではなく、組織としての学習プロセスにはなっていない。また、学習の場の一つである研修も、当事者の問題意識やモチベーションから乖離したテーマで受け身の講義が行われていることが多く、現実の業務や組織を良くする素材にはなっていないのではないか。

そのような状況を打開する一つのアプローチが、「自らの手で、必要な知を生み出していくこと」である。

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上図の「アウトプットから始まる学び」は、ラーニング・パターン(https://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/introduction.html)という「学習」について言語化されたパターン・ランゲージの中の一つであるが、個人的にも学びの本質はここにあると思っている。

■動機の見えない知識のインプットは、身につけることが難しい。
・何かをつくったり実践したりすると、自分ができることとできないことの両方が明らかになる。
・自分がやりたいことを実現するための必要性が、学びへの強い動機を生む。
・アウトプットするためには、試行錯誤のプロセスが不可欠である。
・何かをアウトプットすることは、「自分」を出すことに他ならない。いくつもの可能性のなかからの選択に、自分らしさが出るからである。
(出典: アウトプットから始まる学び/ラーニング・パターン、https://learningpatterns.sfc.keio.ac.jp/No7.html

もちろん、誰かの手によって形作られた知をインプットすることも学習において重要なプロセスだが、軸足はアウトプットに置くべきだと考えている。その方が、インプットの質も確実に高まる。

●組織を変えることのハードルの高さ

もちろん、パターンを作ることが最終ゴールではない。当事者の立場に立てば、パターンを言語化しても目の前の現実(業務・政策・組織)が変わらなければ意味はなく、当然ながら「パターンづくり」だけでは終われない。

しかしながら、「組織変革」というものを前面に押し出すことの難しさも現実問題としてはある。たとえば、組織変革が意味するものの捉えにくさであったり、組織変革をさせる側とさせられる側に二分化して捉えられてしまいがちなものであることが理由。

その点で、知をアウトプットすることは、組織変革を柔らかく実施していくことができるアプローチだと考えている。

まず、パターン・ランゲージなどの知を言語化していくことは、組織変革に比べて、具体的なアウトプットが見えやすく、取り組みやすいというメリットがある。また、関わる個人にとってもすぐにアウトプットを出すことができ、自身の貢献を感じやすい。小さな例ではあるが、「自分のためにノートでとっていた議事録をGoogleDocsなどのクラウド上で作成してプロジェクトメンバーに共有する」ということも、組織変革に繋がる知のアウトプットの例である。もともとは自分自身のためにやっていたことであり、本人の手間は変わらないが、それを組織のメンバーに共有するだけで感謝される。そして、このプロジェクトで行っているように、何人かのチームで検討していけば、より組織に役立つ知を創出できる可能性がある。

知のアウトプットは、そのような好循環(システム思考の言葉で言えば、自己強化型ループ)のきっかけになりやすい行為であり、それが進展していくと、チーム単位や、より大きな組織単位でのアウトプット(学習)に繋がり、組織変革を実現しやすい状態が作られるのではないか。

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以上の考えから、<自ら「知」を生み出すプロセスを通じた「学習」と「組織変革」>という形で、知をアウトプットすることを通じて質の高い学習を行いながら、その知をクッションにして目の前の組織変革を行っていくようなアプローチの方が現実的ではないかと思っているが(※)、これも仮説に過ぎないので、実証しながら検証してきたい。

(※)ここ数年話題になっていた、ティール組織/ホラクラシーという新しい組織形態は従来のヒエラルキー型の組織と対比される形で言及されることが多いが、大事なのは、その組織にとって必要な知や情報が創造され、流通することだと考えている(詳細は下記のブログを参照ください)。

blog.copilot.jp

▶ご連絡をお待ちしています

このプロジェクトを少しずつでも広げていきたく、ご関心ありましたら、ぜひご連絡ください。
政策立案パターン・ランゲージ以外のプロジェクトも行いたいと思っています。より良いパブリックを一緒に作っていきましょう。
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米山知宏/地域シンクタンク(仮称)、株式会社コパイロツト | プロジェクトマネジメント・ナレッジマネジメントファーム
https://www.facebook.com/tomohiro.yoneyama.71

周年日記のすすめ

飽きっぽい私が、ずっと日記を書き続けられている「周年日記」というスタイルがあるのだが、とてもオススメなので書いてみたいと思う。

周年日記は、同じ日付の日記を同一のページに書き加えていくものである。
私の場合は、Scrapboxというツールを使って日記を書いているが、そこに日単位のページがあり、毎日、該当する日付のページを上書きしている。

scrapbox.io

周年日記のフォーマット

フォーマットはこんな感じ。
このフォーマットで書かれた複数の年の日記が一つのページに蓄積されている。
(下記の※は説明用の記載で、普段のフォーマットには入っていない)

■■■
20200105(日曜日)
▼朝書くこと
【天気】
※天気をメモしておくと、その時の状況を結構思い出したりするので、書くようにしている。

【昨夜の夢】
※見た夢を文章にしても、ほぼほぼ後から思い出せないのだが...

【今日やること】
※その日にやることをざっと確認。別のツールや付せんを使うこともある。

▼1日のふりかえり
▼今日良かったことは?(やったこと、考えたこと、アウトプットしたこと)
※下記の「1日のログ」の中から特出ししたいことがあれば、こちらにも書いておく。

▼分かったこと・発見したことは?ナレッジの仮説は見つかった?
※小さな発見でも、後々、別の発想のきっかけになったりするので、残している。

▼改善したいことは?

▼今日の●●は?
※●●は息子の名前を入れていて、息子のことで印象的なことを書いている。

▼明日は何をする?(やりたいこと、考えたいこと、アウトプットしたいこと)

▼1日のログ
0600
・起床

0700
・「・・・・」を読む

※↑みたいな事実を淡々と書く。ここがメインコンテンツ。
※考えたメモとかも適宜書いている。


■■■
20190105(土曜日)
・・・

■■■
20180105(金曜日)
・・・


周年日記の良いところ

周年日記の一番良いところは、ある日の日記を書こうとすると、必然的に1年前、2年前、3年前、、、の同じ日の日記を目にするところ。

日記を一日ごとに別のページに書いてしまうと、過去の日記を見るには何かしら意図的に行動しなければならないが、周年日記だと、偶発的に過去に書いた日記を読み返すことになる。これが、日々、広い視点でのふりかえりの素材となってくれて、いまやるべきアクションを再確認する機会にもなっている。


残すべき価値があるかどうかという判断を保留する

その際に大事なのが、「残すべき価値があるかどうかという判断を保留すること」。

上のフォーマットでも「発見したこと」「ナレッジ」という枠があるが、一番重要なのは「1日のログ」を淡々と残すことだと感じている。書いたときには何の価値も感じられないことだが、1年後、2年後、、、に読み返すと新たな意味に気づかせてくれたりする。書くときに価値を判断してはいけない。自分の単なるログが、時間がたつことで、新たな意味を持ってくることがある。


単なる日々のログを複数年の時間軸で意味づけてくれる

飽きやすい私が日記を書き続けていられるのもの、「単なる日々のログを複数年の時間軸で意味づけてくれる」という周年日記の性質によるところが大きいのではないかと思う。

FacebookGoogleフォトも1年前の投稿や写真を通知してくれるが、これもユーザからすると同じ意味がある。

2016年に読んだオススメ本(20冊)

すでに1月3日になってしまったけれど、2016年の読書を振り返って、勝手にオススメの本を20冊紹介したい。
ちょうど一年前(2015年に読んだオススメ本(20冊) - @kedamatti's diary)にも書いたように、「以下にあげるものは、今年読んだ本の中で特に印象に残っているものだが、私の本の読み方は適当なので、みんな同じ深さ・頻度で読んだ訳ではない。じっくり一度だけ読んだものもあれば、逆に、ちょこっとずつ何度も読んだものもある。また、今年はじめて読んだものもあれば、以前から読んでいるものもある」のだが、今年はいくつかの点で本の読み方を変えた。そのポイントは以下の3点になるが、このようにやり方を変えたのは、「本単体の内容」もさることながら、「本と本のネットワーク」=「知と知のネットワーク」を蓄積していきたいからという思いがあった。

1. 過去の本の再読

まず、意識的に、過去に読んだ本を再読する割合を増やした。以前に読んだ本については、全く内容を忘れてしまっているものも多く、それは非常にもったいないことであった。一度読んでいる本であれば、いくつかのキーワードを拾えば、本の趣旨をすぐに思い出すことができる。新たな本を読むより読書効率も良い。

2. 1週間ごとに読む本を計画(平日1日1冊ペース)

2点目としては、一冊あたりにかける時間をなるべく短くするために、1週間ごとに読む本を1日1冊ずつ決めて、計画的に読むようにした。もちろん、頭からお尻まで全部読もうとしたら1日では時間が足りないので、実際にはさらっと眼を通すだけではある。その中でも、特に「目次」を熟読(熟目)するようにして、本文はポイント部分だけを読むようにしている。その中でも読む価値があるという本については、後日再読して、本文を読み込むようにしている。

3. 本の概要をGoogleドキュメントにメモ

最後3点目としては、読んだ本の概要をGoogleドキュメントにメモするようにした。これまでも、紙やらEvernoteやらに気分次第でメモをしていたのだが、本の内容をなるべく記憶させたいということと、いつでも検索・参照できるようにしたいということから、ほぼすべての本について必ずメモをするようにした。メモの内容としては、「目次」は必須。「目次」さえあれば、本のおおよその内容は思いだせる。目次は、Webにもころがっていたりするので、それが見つかればコピペで済ますことも可能。あとは、気になったフレーズをその必要性に応じて抜き出したり、読書時に感じたことをメモしている。これで自宅の本棚の本をクラウド上で管理でき、実際のブツはなくとも、本の内容(概要)をいつでも振り返ることができる。

2016年のベスト1

(1)町の未来をこの手でつくるー紫波町オガールプロジェクト(猪谷千香)

それでは、本題。2016年のベスト1をあげるならば「町の未来をこの手でつくるー紫波町オガールプロジェクト(猪谷千香)」をあげたい。岩手県紫波町の公民合築施設「オガールプラザ」がどのように作られていったかということを非常にリアルに分かりやすくまとめられたオススメの一冊。オガールは諸々のスキームが注目されるが、もっとも重要な点は、関係者の誰もが妥協せず、本質を追求し続けた態度ではないだろうか。著者による記事はこちら。(岩手県紫波町「オガールプロジェクト」 補助金に頼らない新しい公民連携の未来予想図

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト

まちづくり分野

まちづくり分野からは、以下の7冊をあげたい。

(2)地方再生大全(木下斉)

「地方創生」とついているが、「地域経営のマネジメント論」というべきもの。地域もしくは自治体は何に取り組むべきかというところを入口にして、モノ・ヒト・カネ・組織のあり方について鋭く論じた一冊。それらのテーマについて、ゆるきゃら、地域ブランド、エリアマネジメント、観光、補助金、合意形成などの具体的な素材をもとに分かりやすく考察されていて、地域に関わる仕事・活動をしている人には必須の入門書と言ってよいのではないだろうか。

地方創生大全

地方創生大全

(3)新・観光立国論(デービット・アトキンソン

元金融アナリストで日本の文化財の専門家であるデービット・アトキンソンが、日本の観光産業の現状をばっさりと切る一冊。

  • 物事を論理的に考えることができなければ観光産業は改善しない。具体的には、サービス提供者である日本人目線でサービスを評価するのではなく、顧客である外国人目線でサービスを評価していくこと。「おもてなし」や「治安が良い」ではダメ。「お金を落としてもらうだけの高品質なサービス」を作り上げていくことが重要。

  • PRをしても、満足させられるサービスがなければ、悪い評判が広まるだけ。問題は発信力ではなく、観光コンテンツとしての魅力。

  • 文化財で稼ぐ」という意識が重要。文化財でお金をいただき、それを文化資源に再度投資していくこと。

(4)地方再生の失敗学(飯田泰之、木下斉、川崎一泰、入山章栄、林直樹、熊谷俊人

経済学者、研究者、事業家、政治家が、それぞれの立場から地域再生について論じたもの。立場の違いはあれど、主張に共通しているのは「合理的・論理的に物事を考えられるかどうか」ということ。「工場ができても地域の内需が活性化するわけではない」し、「経済原則に逆らった地域再生の方策は不可能」。

地域再生の失敗学 (光文社新書)

地域再生の失敗学 (光文社新書)

(5) ボローニャ紀行(井上ひさし

井上ひさしによる取材旅行のエッセー。地方自治論でもあり、民主主義論でもあり、文化論でもあり、産業論でもあり。 近いテーマとして、創造都市への挑戦――産業と文化の息づく街へ (岩波現代文庫)創造農村: 過疎をクリエイティブに生きる戦略ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか―― スペイン サン・セバスチャンの奇跡(祥伝社新書284)などもオススメ。

ボローニャ紀行 (文春文庫)

ボローニャ紀行 (文春文庫)

(6)公共哲学(13)都市から考える公共性(今田高俊)

風景、コミュニティ・デザイン、情報空間などを題材に「都市の公共性」を問い直す。地方創生をしたいのであれば、本来はまずこのような議論をしなければならない。

公共哲学 (13) 都市から考える公共性

公共哲学 (13) 都市から考える公共性

(7) 生活の芸術化―ラスキン、モリスと現代(池上惇)

これからの社会について素晴らしいビジョンを提示してくれている一冊。このしなやかな、柔らかい経済論は、21世紀のまちづくりの方向性を示している。「『労働の人間化と生活の芸術化による社会進歩』こそ人類の進化を推進する原動力」という指摘は非常に共感するし、このような社会を作っていきたい。

生活の芸術化―ラスキン、モリスと現代 (丸善ライブラリー)

生活の芸術化―ラスキン、モリスと現代 (丸善ライブラリー)

(8)パタン・ランゲージ(クリストファー・アレグザンダー

まちづくり界隈の古典。久しぶりの再読。ちまたにあふれる事例集を参照して満足するだけではなく、本来は、それぞれの地域でまさにパタン・ランゲージのような形でまちづくりの知見を体系化していかなければならない。

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

政治学・社会学分野

続いて、政治学・社会学分野からは6冊。

(9)未来政府(ギャビン・ニューサム)

著者がサンフランシスコ市長やカリフォルニア州副知事の立場でオープンガバメントを推進しようとして、取り組み、そして悩んだリアルな記録。 少なくとも日本よりはイノベーティブなアメリカでさえ、これだけ危機感を持っているということの意味を考えるべき。本書が書いているように「もはや政府は自分たちであらゆる問題を解決するのは無理だと認めるべきだ、そして、市民の自発的な関与を促すべき」なのである。

未来政府

未来政府

(10)自己組織性(今田高俊)

社会学者の今田高俊さんが約30年前に書かれた一冊。我が本棚でずっと積読状態になっていたのだが、実に素晴らしい内容だった。「社会科学の言語喪失」を問題視する今田は、この本の目的を「個人と社会とをつなぐ新たな言語の発見」であり「瀕死の状態にある社会理論を自己組織性の観点から再構築して復活させること」とする。今田によれば自己組織性は「システムがある環境条件のもとでみずからの組織を生成し、かつまたその構造を変化させる性質を総称する概念」とされるが、もはや現代が、統一的な価値観で社会が進んでいくことができた高度成長期ではない以上、構造や機能(の意味)を自省的・自己組織的に問い直さなければならない。「自己組織性が新たな時代精神を担うキー・ワードであるのは、社会が主役で変化するのでなく、個々人が主役で社会をつくり変えていくイメージを担うからである」という30年前の指摘は、今の時代にこそ必要である。

自己組織性―社会理論の復活

自己組織性―社会理論の復活

他は以下。

(11)民主主義(文科省

(12)哲学の起源(柄谷行人

哲学の起源

哲学の起源

(13)気流の鳴る音(真木悠介

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

気流の鳴る音―交響するコミューン (ちくま学芸文庫)

(14)福沢諭吉の哲学(丸山眞男

福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)

福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫)

インターネット・データ分野

インターネット・データ分野からは以下の2冊を。

(15)〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則(ケヴィン・ケリー)

米国「WIRED」誌の創刊編集長であるケヴィン・ケリーが、インターネットに次に来る不可避な方向性について論じたもの。例えばiPhoneTwitterFacebookは、どれもおよそ10年前に生まれ、今や生活に欠かせないものになったが、電話やインターネットを行うことが「不可避」なのであって、iPhoneTwitterFacebook自体は不可避ではないとする。10年前にこれらのツールが生まれたように、また新たなツールが生まれてくるだろうが、訳者の言葉を借りれば、どのようなツールでも以下の「不可避」な方向性の中で進化していく。

ネット化したデジタル世界は名詞(結果)ではなく動詞(プロセス)として生成し(BECOMING)、世界中が利用して人工知能(AI)を強化することでそれが電気のようなサービス価値を生じ(COGNIFYING)、自由にコピーを繰り返し流れ(FLOWING)、本などに固定されることなく流動化して画面で読まれるようになり(SCREENING)、すべての製品がサービス化してリアルタイムにアクセスされ(ACCESSING)、シェアされることで所有という概念が時代遅れになり(SHARING)、コンテンツが増え過ぎてフィルターしないと見つからなくなり(FILTERING)、サービス化した従来の産業やコンテンツが自由にリミックスして新しい形となり(REMIXING)、VRのような機能によって高いプレゼンスとインタラクションを実現して効果的に扱えるようになり(INTERACTING)、そうしたすべてを追跡する機能がサービスを向上させライフログ化を促し(TRACKING)、問題を解決する以上に新たな良い疑問を生み出し(QUESTIONING)、そしてついにはすべてが統合され彼がホロス(holos)と呼ぶ次のデジタル環境(未来の〈インターネット〉)へと進化していく(BEGINNING)という展開だ。

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

〈インターネット〉の次に来るもの 未来を決める12の法則

(16)統計学が日本を救う(西内啓)

統計の専門家が、データにもとづいて日本の現状を把握し、政策の方向性について提案するもの。最終的な政策決定はまさに政治的なものだが、その前の分析をデータを活用してしっかりと行うことで、無駄な選択肢を排除でき、政治的コストも軽減できる。より詳細なデータ分析を行っているものとして、仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)子育て支援が日本を救う (政策効果の統計分析)仕事と家族 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか (中公新書)人口学への招待―少子・高齢化はどこまで解明されたか (中公新書)なども参考になる。

その他

最後に、その他分野から、以下の4冊。

(17)アーロン収容所(会田雄次

著者が経験した捕虜の詳細な記録。

アーロン収容所 (中公文庫)

アーロン収容所 (中公文庫)

(18)カスハガの世界(みうらじゅん

カスな絵ハガキにそそられるならば、ぜひ読むべき一冊。

カスハガの世界 (ちくま文庫)

カスハガの世界 (ちくま文庫)

(19)がんばれ仏教!(上田紀行

大学時代にも講義を受けた上田先生の本。あまり真面目に授業に出ていなかった私だが、上田先生の講義は強く印象に残っている。この本も、上田先生のリアルな言葉で書かれていて、引き込まれるように読んだ。仏教は本来、プラグマティックな考えを持っているとともに、物事の因果関係を論理的に把握していこうとするもの。お寺が元気な街には大きな可能性がある。

私は有馬の生き方に〈ホトケ〉を感じる。チェルノブイリの子どもたちが苦しんでいると聞いてはその援助に邁進し、タイのエイズホスピスに出会ってしまうと、何かの支援ができないかと知恵を絞り、作務衣プロジェクトを立ち上げ、ターミナルケアに関わり、葬式を改革し、寺を面白い場にしようと様々な試みを仕掛ける高橋の姿に〈ホトケ〉を感じる。
菩薩行やら慈悲やらを単に教義として、あたかもありがたそうに語り、その自己矛盾に何も気づかず、世界の苦悩にも鈍感かつ冷淡な僧侶に、私は自分の葬儀をしてもらいたいとは思わない。そこにはどうしても〈ホトケ〉の姿が見出せないからだ。いくら言葉で「慈悲」を語っても、そこには慈悲の心が感じられないからだ。

がんばれ仏教! (NHKブックス)

がんばれ仏教! (NHKブックス)

(20)ちいさいおうち(バージニア・リー・バートン)

息子にも読んでもらいたくて買った絵本。

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

ちいさいおうち (岩波の子どもの本)

2017年

こうやって振り返ってみると、読みたいと思っていたものが全然読めていないことに気づく。歴史小説はおそらく一冊も読んでいないし*1、漫画は「そばもん」だけだったかもしれない。絵本ももっと読みたい。
かつてショーペンハウアーは「本ばかり読んでるとバカになる」(意訳)と語ったが、2017年も本を読んでバカになっていきたい。 嬉しいことに、Kindle Unlimited から除外されてしまっていた「光文社古典新訳文庫」が読み放題の対象に帰ってきてくれた*2。これで安心してバカになれる。

*1:真田丸は毎週見てたけど

*2:Kindle Unlimited は、光文社古典新訳文庫だけで入る価値がある。

【議員NAVI連載】議員のためのインテリジェンス〜データ・エビデンスに基づく政策立案(RESAS、Open Government、Open Policy Making)

http://www.dh-giin.com/wp-content/uploads/2016/07/giin_Intelligence_tit.jpg

議員NAVI(第一法規)に「議員のためのインテリジェンス」と題して、政策立案におけるRESAS・データの活用方法や、データに基づく政策立案や市民参加型の政策立案(Open Government, Open Policy Making)を進めていく上での議員の役割・振る舞い方などについて連載しておりましたが、先日、最終回(第4回)を公表頂きました。一部会員限定の記事もありますが、ご笑覧ください。内容についてはブラッシュアップをしていきたいと思っていますので、ぜひ、ご指摘いただければ幸いです。

以下は、各回の記事の要旨です。

第1回 「データ」と「理論」に基づく政策づくり

政策立案は「正当性ある目的―手段体系(仮説群)を正統性ある形で構築することを目的としたプロセス」であるが、重要なのは、「適切な情報」を「適切なコストの範囲」で活用していくことである。データのみならず、抽象化された理論も政策を立案する上で大きなヒントになるものであり、「データから理論をつくる」とともに「理論をデータで検証していく」という「データ」と「理論」の相互循環プロセスの中で政策は立案されなければならない。


第2回 政策立案におけるRESASの活かし方(上)

(※途中から要ログイン)

要因分析を行う上で不可欠な視点は、「(可能な限り)課題の根本的な要因を明らかにすること」である。一つひとつの事象は、複雑に絡み合う諸要因によって引き起こされるものであるが、根本的な要因を把握することなく、誤った要因認識で政策を立案しても本質の解決にはつながらない。


第3回 政策立案におけるRESASの活かし方(下)

(※途中から要ログイン)

産業を見る際に欠かせないのは、地域全体の付加価値をどのように増やしていくか、という視点である。付加価値とは、企業の生産活動によって新たに生み出された価値のことである。それは、生産額から中間投入材の額を減じたものであるから、地域全体として付加価値を考える際には、「地域の生産額を増やす」という視点と「地域全体として見たときの中間投入材(額)を減らす=中間投入材を地域外から調達する額を減らす」という視点から地域の各産業を見ていくことが不可欠である。


第4回 「専門知」と「実践知」の相互循環プロセスを通じて、政策の質を高めよう―「議会・行政主導の協働」から「民間主導の協働」へ―

(※途中から要ログイン)

政策の質を高めるためには「政策や政策立案に関する知としての『専門知』」と「協働や政治の知としての『実践知』」の相互循環プロセスが必要であり、そのためには、「議会・行政主導の協働」から「民間主導の協働」へ転換していく必要がある。

Open Policy Makingが目指すところは、政策の質の向上にとどまらない。最終的には、自治の質を高めていくことを目指すものである。20世紀の市民参加・協働は、行政が市民に対して「市民参加をさせる」という側面が少なくなかったように思う。それは、「行政への市民参加」であり「行政主導の協働」であったといえるが、21世紀は「市民・民間への行政参加」、「民間主導の協働」に変わらなければならない。




ファジーなオープンガバメント —曖昧さ・余白が生み出す市民自治—

本稿は、機関誌「行政&情報システム」(一般社団法人行政情報システム研究所)の2016年6月号に寄稿したものを許可を頂いて本ブログにもアップするものです。PDF版は、こちらをご覧ください。

1 はじめに

 日本において、はじめて民主主義を制度化したのは、1889年に公布された大日本帝国憲法明治憲法)である。明治憲法では、第35条において議員を有権者 — それは一定以上の税金を納める25歳以上の男子という限定された有権者ではあったが — による選挙で選出することが謳われた。それから約60年後の1946年。日本は、現在の日本国憲法を制定し、民主主義を新たな形に作り替えた。そこでは選挙が「国民固有の権利」であるとされ、女性も含めて20歳以上の成人全てに選挙権が認められるようになった。憲法を改正する際にも「国民投票」が必要とされるようになり、日本は民主主義を実現したかのように見える。
 しかしながら、現在まで続く民主主義制度が確立されてから同じく60年強が経過したいま、民主主義に対する評価は必ずしも芳しいものではない。その評価は「民主主義の不足」を指摘する声と「民主主義の過剰」を指摘する声で二極化している。「民主主義の不足」を主張する人々は、民意が十分に反映されていないとして、参加・対話の場の機会のさらなる拡大を求める。一方、「民主主義の過剰」を主張する人々は、「過剰な民主主義が国家を麻痺させ、意思決定を不可能にしてしまった」*1とさえ指摘する。本稿では、「民主主義の過剰と不足」という相反する2つの課題が提示される中で、民主主義を強化させる概念として期待される「オープンガバメント」をどのようにデザインし、そして、我々は何をすべきなのか検討したい。

2 民主主義の現状

 民主主義の現状を一言でいえば、「国民・市民は、社会や政治に対して必ずしも関心がない訳ではないが、適切な参加回路がない」ということに尽きるように思われる。確かに、選挙の投票率は減少の一途をたどっているし、内閣府の調査によれば、選挙は国の政策への民意の反映方法として、それほど重要視されていないという結果が出ているが*2、若者の社会や政治に対する関心が減少している訳ではない。たとえば、「第8回 世界青年意識調査」によれば、若者(18歳から24歳)の6割近くが政治に関心があると回答しており、その割合も増加傾向にある。その割合は、アメリカ、イギリス、韓国の若者と比較しても高い。20代の「社会への貢献意識」も、平成10年には50%程度だったものが、平成27年度には70%近くまで上昇している*3

 しかしながら、実際に、政治活動やボランティア活動に参加する人の割合は少ない。署名・陳情・集会への出席などの政治活動を行わない人の割合は1970年代には6割程度だったものが、その後増加し、2013年には7割を超えている*4。また、社会生活基本調査(総務省)によれば、ボランティア活動をする人の割合は、15歳〜34歳で約20%程度となっており、前述の社会貢献意識とのギャップがある。特に、まちづくり活動に参加する若者(20代)の割合は4%程度となっており、非常に少ない状況である。
 だが、そのような状況も、2011年3月11日の震災を機に変化しつつある。デモやオープンガバメント・シビックテックによる社会参加である。デモとは「ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為」(Wikipedia)であるが、それが時に暴力的な活動にもなっていることから、むしろ否定的に捉えられることが多かったのであるが、しかし、3.11の震災後のデモは、それが「議会制民主主義とは別の民主主義の回路である直接民主主義が、平和憲法制定から65年を経た今日『院外』における非暴力なものとして変貌を遂げた」*5と評されるまでに変化している。デモの主義・主張は別にしても、それが社会に関わる一つの重要な手段であることは認めざるをえないだろう。
 そして、本稿で論じるオープンガバメント・シビックテックは、2010年5月に策定された「新たな情報通信技術戦略」において「オープンガバメント」という表現が用いられ、「行政情報の公開、提供と国民の政策決定への参加等の推進」*6に向けた取組が行われていたが、結果的には、3.11の震災を機に加速・進展した取組である*7。前述のように、日本社会はこれまで、危機的な状況に対応しようとする中で、民主主義の形を変えてきたという歴史がある。明治憲法が制定された約60年後には、終戦を機に現在のいわゆる平和憲法が制定されたが、そこからさらに60年強が経過したタイミングで起こった3.11の震災も、民主主義のあり方が変わった節目と言えるのかもしれない。

3 オープンガバメントが依拠する思想

 2009年にオバマが提供した「オープンガバメント」は民主主義を強化する概念として期待されてきた。具体的には「透明性の確保」「意思決定プロセスへの参加」「執行プロセスにおける協働」がその3原則とされているが、それは必ずしも現在のオープンガバメントに関する動きを捉えた定義とは言えない。後述するように、オープンガバメントは、従来の市民参加の形態に収まらず、地域社会の新しいガバナンスのあり方を提起している。その意味で、筆者はオープンガバメントを「テクノロジーを積極的に活用した、各種アクターによる地域社会のガバナンスに関する理念および、その理念を実現するための具体的制度」と考えるが、ここには2つの意味がある。一つは、「市民の関わり方」であり、市民は単に参加させられる・協働させられるという受け身の存在ではなく、参加・協働の設計自体にも関与する主体であるということ。もう一つは、「オープンガバメントが存在する場所」であり、オープンガバメントは、いわゆる「政府(議会・行政・司法)」に関係する部分のみならず、政府の外側の「市民社会」でも行われるということである。

表 オープンガバメントの特徴

市民の関わり方 市民は単に参加させられる・協働させられるという受け身の存在ではなく、参加・協働の設計自体にも関与する主体
オープンガバメントが存在する場所 「政府(議会・行政・司法)に関係する部分のみならず、政府の外側である「市民社会」でも行われる


 しかしながら、上記の定義では、具体的にどのような思想に基づいてオープンガバメントをデザインすべきなのかということは明確ではない。オープンガバメントは、社会を設計・運営する手段にすぎず、そうであるならば、より上位には、オープンガバメントを設計する上での思想・コンセプトが存在しなければならない。それは何か。それは「個人の自由を基盤として、コミュニティ・参加・意思決定プロセスを<ファジー>にしていく」ということである。なぜなら、「個人の自由」を尊重するということは、個人が様々なコミュニティに自由に関わることができることはもちろんであるが、同時に、「自分の意思だけで決定することはできない」という理由から意思決定プロセスを固定化できないからである。

図 オープンガバメントが依拠する思想 f:id:kedamatti:20160909233825p:plain

3.1. 基本的思想としての「ファジー」

 ファジーとは、「概念内容に度合の選択の余地があるなど、判断する時に意味するものの範囲がぼやけているさま」*8や「境界が不明確であること。あいまいであること。柔軟性があること」*9を意味するものであるが、制度や関係が固定化する現代社会においては「選択の余地があること」「曖昧であること」は、むしろ、ポジティブさを含意するものである。
 社会を作っていく上での思想なり考え方には様々なものがあるが、大事な視点の一つに、「意思決定の変更可能性を受け入れる」ということが指摘できるように思われる。なぜなら、たとえば山口が指摘するように「批判的公共性が十全に活性化しており、他の可能性に向けて道が閉ざされていないにも拘らず、ある政治的決定や権力のルールが変更されていないでいるとき、それらは正統」*10なのであり、変更可能性が存在しない意思決定プロセスに正統性は無いからである。簡単に言えば、結論ありきの意思決定を行わないということであるが、そのためには、既存の制度やコミュニティをいい意味で曖昧にし、余白や柔軟性を持たせること、つまり<ファジー>にする必要があるのではないだろうか。

3.2. <オープンイノベーション>というコミュニケーション形態と<デザイン思考>という思考形態

 近年、数多く言及されている「オープンイノベーション」と「デザイン思考」は、ファジーという思想を実装する役割を担っている。
 オープンイノベーションやデザイン思考については、本誌においても、これまで何度か言及されているため、ここでは詳細には踏み込まないが、筆者は、オープンイノベーションは従来とは異なる新しい「コミュニケーション形態」であり、同様に、デザイン思考も従来とは異なる新しい「思考形態」であると考えている。オープンイノベーションは、「組織」および「資源」の境界をファジーにすることでコミュニケーション形態を従来とは異なるものにし、一方のデザイン思考は、「プロトタイピング」による試行錯誤を志向し、最初から完成形を求めないという意味で思考形態をファジーにしたものである。
 日本社会の問題として、「空気」によって意思決定が行われてしまうことがしばしば指摘される。そのような状況に対して、山本は「『空気』を排除するため、現実という名の『水』を差す」として「水を差す」ことの重要性を指摘しているが*11、実は、オープンガバメントの本質は「水を差す」ことにあるのではないか。たとえば、オープンデータを含む各種の「データ」は、そのコミュニティの常識に対して水を差し、「参加」は、そのコミュニティの意思決定の場や意思決定の対象そのものに水を差しうるところに意味があるように思われる。オープンイノベーションもデザイン思考も水を差すための機能である。思考形態としての<デザイン思考>が、「そもそもの課題は何か」という問いを発することで、課題自体に水を差し(=課題の再定義)、コミュニケーション形態としての<オープンイノベーション>が、「誰とイノベーティブな解を考えるのか」という問いを発することで、課題の検討プロセスに水を差す(=課題の解決方法の再定義)。地域において「デザイン思考」と「オープンイノベーション」を機能させるためには、市民社会の活動が非常に重要である。横浜市や神戸市などのように、オープンイノベーションを積極的に進めている自治体もあるが、多くの自治体はそうではない。そのような地域では、市民が「水を差す」役割を担い、地域の課題自体から問い直していかなければならない。

4 ファジーなオープンガバメントを検討する

 それでは、具体的にオープンガバメントをどのように設計すべきか。本章では、「ファジー」をキーワードに、オープンガバメントの具体的な形をいくつかの論点ごとに検討したい。

4.1. 【参加者の多様性】参加の場をファジーにする

 まず重要なのは、「参加の場」をファジーにし、多様な参加者が関われるような場づくりをする必要があるということである。まさに「よそもの」「わかもの」「ばかもの」の話であるが、それは、市民が主体となり行う Code for X などの活動でもそうであるし、行政が推進する市民参加の取組でも同様である。昨今、全国的に行われるようになった「アイデアソン・ハッカソン」などの取組は、参加者の多様性を活かしてイノベーティブな取組を行おうとするものであり、まさに参加の場をファジーにしたものである。
 「参加の場」がファジーであるということは、2つの点で利点がある。一つには、新たな参加者が生まれやすいということがあるが、もう一つ重要な点として、出ていくことも自由であるがために、後ろ向きのメンバーに退出してもらうことができるのである。これは逆説的なことであるが、参加の場のルールが曖昧で固くないからこそ、逆に自発的な参加者を生み、場のネットワークが強固なものになりうるのではないだろうか。

4.2. 【個々の主体性】ファジーな参加動機を包摂する

 福井県鯖江市役所では、女子高生がまちづくり活動に参加する「鯖江市役所JK課」プロジェクトを実施しているが、その企画者である若新は、現代社会には「ゆるいコミュニケーション」が必要だと指摘する。そして、その「ゆるいコミュニケーション」を通じて、硬直化したシステムや人間関係を「ゆるめる」という脱力的なアプローチが、逆に創造性を生み出すというが(創造的脱力)、この指摘は非常に重要である。人間関係をゆるめて、参加者の多様性を大切にするということは、言い換えれば、参加者個人の多様な参加動機を包摂するということでもある。たとえば、ある場が、最終的には「地域のため」になることを目的にしているものだとしても、個々の参加者の動機は、必ずしも「地域のため」ではなく、「なんとなく楽しそうだったから」でいいのである。むしろ、そのようなファジーな参加動機をもった人は、従来の参加には見られなかった新たな参加者であり、そのような人ほど、実は主体的にコミュニティを動かす可能性があるのではないだろうか。

4.3. 【参加の転回】参加の方向性をファジーにする

 参加者の多様性に加えて、「参加の方向性」をファジーにすることも重要である。これまでの参加と言えば、「市民が行政・政府に参加する」という一方向の参加形態が主であり、行政が場の設計者であるならば、市民は場に参加させられる存在であった。そして、そのような場で行われる議論も予定調和的であり、変更可能性などほとんど存在しなかった。これでは、市民もその場に対して「正統性」を感じるはずもなく、参加者が減っていくのも当然である。では、この場を変えるにはどうすればよいか。一つには行政側が認識を改め、市民目線での場づくりを行うようになることであるが、もうひとつとして、「市民が場の設計者として参加していく」という方向性も有効ではないだろうか。すでに事例もある。早稲田大学マニフェスト研究所が推進している「マニフェストスイッチプロジェクト」は、選挙時に市民がマニフェストのフォーマットを定め、そのフォーマットにもとづくマニフェストの作成を候補者に要請するという取り組みである。マニフェストは過去10年程度の取り組みの中で、十分でないながらも普及してきたが、そのフォーマットは候補者に任されていた。そのため、マニフェストは容易には比較できないなど、有権者が投票先を決定する上で、必ずしも有効な素材にはなっていなかった。マニフェストスイッチプロジェクトはその課題を解決しうるものであるが、この事例は、有権者側が共通ルールを作り、それに候補者が参加していくという、従来とは反対の参加の方向性を示している。先ほどの「鯖江市役所JK課」プロジェクトにおいても、「市役所職員などの大人が女子高生を使うのではなく、女子高生がまちや大人を使う。このダイナミックな関係性の転換によって、まちや大人の方が学び、変化して、地域のポテンシャルや『新しい何か』が引きだされていく」と指摘されており、参加の方向性・関係性を多様なものにしていくことの意義は大きいように思われる。
 もし行政が協働の場を必要としているのであれば、場の設計・構築を住民に任せ、そこに行政が関わっていくようなやり方もあるのではないだろうか。

4.4. 【意思決定の柔軟性】意思決定プロセスをファジーにする

 しかしながら、参加の場や方向性をファジーにしようとした場合に行政側から出てくる反応は、「そんなことをしたら、どのような結論になるか分からないではないか」という否定的なものである。だが、これは的外れな指摘である。なぜなら、市民参加やオープンガバメントにおける意思決定は、本来、自分の意思だけで決定することはできないものであり、どのような結論になるか分からないのが当然だからである。民主主義は、「自分で決めることができる」というものではなく、「自分だけでは決めることができいない」ことを要請する。
 行政が設置するこれまでの市民参加の場は、予定調和を求め、仮に参加者から意見が出されたとしても、曖昧な返事をするばかりで、最終的には何も対応しないというようなスタンスが多かったように思われる。余計なことをしたくないと考える行政の立場としては良かったのかもしれないが、これでは行政不信は高まり、地域の活力も生まれない。行政にはどのような意思決定プロセスになろうともそれを受け入れるという覚悟が必要である。だからこそ、参加者はその場に関わり、貢献したいと思うのではないか。一方で、参加者側も意識を変える必要がある。行政がどのような意思決定プロセスも受け入れるようになるということは、参加者は、もはやただ批判ばかりを繰り返すような参加者だけではいられず、場の運営をともに手伝うような役割も求められるはずである。

5 最後に:自らが手を動かし、まちを作っていく

 本稿では「ファジー」という単語をキーワードにオープンガバメントの形を検討した。この概念だけで「民主主義の過剰と不足」という状況を解決できるとは思えないが、固定化された制度に縛られてきた我々にとって、思考のヒントにはなりうるだろうか。
 丸山眞男は「民主主義を完成品としてみるのではなく、つねにプロセスとしてみるということ」が重要であると指摘したが、オープンガバメントも同様である。オープンガバメントの理念は必然的にパラドックスを含んでいる。参加が重要だとしても、参加が増えれば増えるほどコミュニケーションは成立しなくなり、また、民主主義が結局は権力闘争である以上、治者と被治者も同一にはなりえない。しかし、だからこそ、社会をデータ・エビデンスに基づいて理解しようとし、データに基づいて対話を行っていこうとするオープンガバメントが必要なのではないだろうか。完成形には達することのない、永遠にβ版のオープンガバメントを不断に改善し続けるという態度が我々には求められているのであり、そこにオープンガバメントの本質がある。
 オープンガバメントは社会を変えはしない。社会を変えるのは我々自身である。ただ、だからと言って、真面目になりすぎる必要はない。むしろ、必要なのは、ファジーな社会参加を許容するような「ゆるさ」である。同時に、政治に対する適切な理解も不可欠である。政治に対する過度な期待と幻滅は、政治を適切に理解できていないという点では同一のものである。政治にできること・できないことをきちんと見据えた上で、そして、政治にできないことがあるならば、それは市民自らの手で作り上げていくしかない。それが「民主主義の過剰と不足」という相反する2つの課題を解決する唯一の方向性であるように思われる。

*1:民主主義の過剰 - 『一般意志2.0』(http://agora-web.jp/archives/1408544.html

*2:内閣府の社会意識に関する世論調査(平成28年2月調査)では、「国の政策への民意の反映方法」として「国民が選挙のときに自覚して投票する」と考えている人の割合は16.7%であり、「政治家が国民の声をよく聞く」(25.6%)より10ポイント近く低くなっている。

*3:社会意識に関する世論調査内閣府

*4:現代日本人の意識構造(第8版)(NHK放送文化研究所

*5:「デモ」とは何か(五野井郁夫)、p211

*6:新たな情報通信技術戦略(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、平成22年5月)

*7:日本におけるシビックテックでは、「Code for Japan」の功績は今さら論じるまでもないが、Code for Japan は、「被災地でアイデアソン/ハッカソンをやって課題を発見し、ITで解決しよう」という趣旨で立ち上がった「Hack For Japan」が前身の一つである。http://kikin.yahoo.co.jp/report/cfj.html

*8:岩波国語辞典第7版

*9:デジタル大辞泉

*10:山口節郎「正統性−手続きからかユートピアからか−」新田ら『岩波講座 現代思想〈16〉権力と正統性』134頁(岩波書店、1995年)

*11:「水=通常生」の研究(山本七平

選挙の後が大事

参議院選挙の前日ですが、思いつくままに何点か。

  1. まず、今回、ある候補者に投票をした理由をメモしておくと良いかと思います。過去のどのような実績を評価したのか。今後の政策のどこに期待をしたのか。参議院の任期は6年。6年もたてば投票した理由を忘れてしまいますが、今回の投票理由は次回の投票時の評価基準でもあります。それは、個人個人にとって大切な財産のはず。(メモをしたとしても、6年後には、メモしたことすら忘れているのかもしれませんが)

  2. 自分の投票した人が当選した方こそ、議員のその後の活動を注視すべきです。ある候補者に票を入れたからって、すべて信任している訳ではないかと思います。マニフェストに書いていたことは実際どうなのか。また、マニフェストに書いていなかったことについては、どのような対応をしているのか。そのようなことを確認するためにも、上で記載したように、「投票した理由」をメモしておくと良いかと思います。

  3. 一方で投票に行かない方もいます。そのような人たちに対する「投票にいくべき」という言説は、確かにそうなのですが、一般論として投票には行った方が良いことくらい誰でも分かっているのだから、いくら「行くべき」といっても行かない人には届かないのかもしれません。問題はむしろ、「選挙」への関心の前に、「社会」への関心や感情がないことが低投票率の根本原因のように思います。だとするならば、明日(選挙当日)だけではなく、明後日以降の取組こそ重要です。たとえば、オープンガバメントやシビックテックは、若い人が感心を持ちやすい「IT」という手段をメディア(媒体)にして社会に関わっていく取組ですが、そのようなアプローチも比較的有効かと思います。

  4. しばしば「投票してないのに、後から政治に文句を言うな」みたいなことが言われますが、それは違うのではないかと思います。投票してなくても、問題があると思えば、どんどん表現して良いと思いますし、そうすべきです。

  5. 政治に対する「過度な期待」も「過度な幻滅」も、政治というものを正しく理解できていない点では同様ではないかと思います。政策に関して使えるお金は有限ですし、そもそも政策は科学的・客観的に導かれるものではありません。様々な思惑から生まれる、まさにその意味で政治的なものです。政治にできることもあればできないこともあるのですから、政治に期待できない点は有権者自らがなんとかするしかありません。だから、どのような結果になったとしても、「選挙の後」が大事です。

ファジーなオープンガバメント—曖昧さ・余白が生み出す市民自治—

雑紙「行政&情報システム」の6月号に、オープンガバメントをテーマに寄稿をさせて頂きました。


ファジーなオープンガバメント—曖昧さ・余白が生み出す市民自治—
(目次:http://www.iais.or.jp/ja/wp-content/uploads/2016/06/mokuji-06.pdf


市民参加、協働、オープンガバメントを進めていくためには、ルール・関係性・コミュニケーションをいい意味で曖昧にし、それぞれに少しずつ「余白」を作っていく必要があるのではないかという、不真面目な提案ですが、ご笑覧いただければ幸いです。

※データ活用に関する他の論考も、非常に参考になります