オープンガバメントの本質は「水をさすこと」(勝手にオープンガバメント論シリーズ)
オープンガバメントの本質は、日本社会のいわゆる「空気」に対して「水をさす」ところにある。
「データ」は、そのコミュニティの常識に対して水をさし、「参加」は、そのコミュニティの意思決定の場や意思決定の対象そのもの(=慣習)に水をさしうるところに意味がある。
後者は、単に多様な意見が発現されるということにとどまらず、「集合的決定がどのように行われるべきか」ということはもちろん、「何が集合的決定の対象とされるべきか(されるべきではないか)」ということをも問うものでないといけない。
それが、「ガバメント」を「オープン」にするということの本質ではないだろうか。