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ファジーなオープンガバメント —曖昧さ・余白が生み出す市民自治—

OpenGov

本稿は、機関誌「行政&情報システム」(一般社団法人行政情報システム研究所)の2016年6月号に寄稿したものを許可を頂いて本ブログにもアップするものです。PDF版は、こちらをご覧ください。

1 はじめに

 日本において、はじめて民主主義を制度化したのは、1889年に公布された大日本帝国憲法明治憲法)である。明治憲法では、第35条において議員を有権者 — それは一定以上の税金を納める25歳以上の男子という限定された有権者ではあったが — による選挙で選出することが謳われた。それから約60年後の1946年。日本は、現在の日本国憲法を制定し、民主主義を新たな形に作り替えた。そこでは選挙が「国民固有の権利」であるとされ、女性も含めて20歳以上の成人全てに選挙権が認められるようになった。憲法を改正する際にも「国民投票」が必要とされるようになり、日本は民主主義を実現したかのように見える。
 しかしながら、現在まで続く民主主義制度が確立されてから同じく60年強が経過したいま、民主主義に対する評価は必ずしも芳しいものではない。その評価は「民主主義の不足」を指摘する声と「民主主義の過剰」を指摘する声で二極化している。「民主主義の不足」を主張する人々は、民意が十分に反映されていないとして、参加・対話の場の機会のさらなる拡大を求める。一方、「民主主義の過剰」を主張する人々は、「過剰な民主主義が国家を麻痺させ、意思決定を不可能にしてしまった」*1とさえ指摘する。本稿では、「民主主義の過剰と不足」という相反する2つの課題が提示される中で、民主主義を強化させる概念として期待される「オープンガバメント」をどのようにデザインし、そして、我々は何をすべきなのか検討したい。

2 民主主義の現状

 民主主義の現状を一言でいえば、「国民・市民は、社会や政治に対して必ずしも関心がない訳ではないが、適切な参加回路がない」ということに尽きるように思われる。確かに、選挙の投票率は減少の一途をたどっているし、内閣府の調査によれば、選挙は国の政策への民意の反映方法として、それほど重要視されていないという結果が出ているが*2、若者の社会や政治に対する関心が減少している訳ではない。たとえば、「第8回 世界青年意識調査」によれば、若者(18歳から24歳)の6割近くが政治に関心があると回答しており、その割合も増加傾向にある。その割合は、アメリカ、イギリス、韓国の若者と比較しても高い。20代の「社会への貢献意識」も、平成10年には50%程度だったものが、平成27年度には70%近くまで上昇している*3

 しかしながら、実際に、政治活動やボランティア活動に参加する人の割合は少ない。署名・陳情・集会への出席などの政治活動を行わない人の割合は1970年代には6割程度だったものが、その後増加し、2013年には7割を超えている*4。また、社会生活基本調査(総務省)によれば、ボランティア活動をする人の割合は、15歳〜34歳で約20%程度となっており、前述の社会貢献意識とのギャップがある。特に、まちづくり活動に参加する若者(20代)の割合は4%程度となっており、非常に少ない状況である。
 だが、そのような状況も、2011年3月11日の震災を機に変化しつつある。デモやオープンガバメント・シビックテックによる社会参加である。デモとは「ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為」(Wikipedia)であるが、それが時に暴力的な活動にもなっていることから、むしろ否定的に捉えられることが多かったのであるが、しかし、3.11の震災後のデモは、それが「議会制民主主義とは別の民主主義の回路である直接民主主義が、平和憲法制定から65年を経た今日『院外』における非暴力なものとして変貌を遂げた」*5と評されるまでに変化している。デモの主義・主張は別にしても、それが社会に関わる一つの重要な手段であることは認めざるをえないだろう。
 そして、本稿で論じるオープンガバメント・シビックテックは、2010年5月に策定された「新たな情報通信技術戦略」において「オープンガバメント」という表現が用いられ、「行政情報の公開、提供と国民の政策決定への参加等の推進」*6に向けた取組が行われていたが、結果的には、3.11の震災を機に加速・進展した取組である*7。前述のように、日本社会はこれまで、危機的な状況に対応しようとする中で、民主主義の形を変えてきたという歴史がある。明治憲法が制定された約60年後には、終戦を機に現在のいわゆる平和憲法が制定されたが、そこからさらに60年強が経過したタイミングで起こった3.11の震災も、民主主義のあり方が変わった節目と言えるのかもしれない。

3 オープンガバメントが依拠する思想

 2009年にオバマが提供した「オープンガバメント」は民主主義を強化する概念として期待されてきた。具体的には「透明性の確保」「意思決定プロセスへの参加」「執行プロセスにおける協働」がその3原則とされているが、それは必ずしも現在のオープンガバメントに関する動きを捉えた定義とは言えない。後述するように、オープンガバメントは、従来の市民参加の形態に収まらず、地域社会の新しいガバナンスのあり方を提起している。その意味で、筆者はオープンガバメントを「テクノロジーを積極的に活用した、各種アクターによる地域社会のガバナンスに関する理念および、その理念を実現するための具体的制度」と考えるが、ここには2つの意味がある。一つは、「市民の関わり方」であり、市民は単に参加させられる・協働させられるという受け身の存在ではなく、参加・協働の設計自体にも関与する主体であるということ。もう一つは、「オープンガバメントが存在する場所」であり、オープンガバメントは、いわゆる「政府(議会・行政・司法)」に関係する部分のみならず、政府の外側の「市民社会」でも行われるということである。

表 オープンガバメントの特徴

市民の関わり方 市民は単に参加させられる・協働させられるという受け身の存在ではなく、参加・協働の設計自体にも関与する主体
オープンガバメントが存在する場所 「政府(議会・行政・司法)に関係する部分のみならず、政府の外側である「市民社会」でも行われる


 しかしながら、上記の定義では、具体的にどのような思想に基づいてオープンガバメントをデザインすべきなのかということは明確ではない。オープンガバメントは、社会を設計・運営する手段にすぎず、そうであるならば、より上位には、オープンガバメントを設計する上での思想・コンセプトが存在しなければならない。それは何か。それは「個人の自由を基盤として、コミュニティ・参加・意思決定プロセスを<ファジー>にしていく」ということである。なぜなら、「個人の自由」を尊重するということは、個人が様々なコミュニティに自由に関わることができることはもちろんであるが、同時に、「自分の意思だけで決定することはできない」という理由から意思決定プロセスを固定化できないからである。

図 オープンガバメントが依拠する思想 f:id:kedamatti:20160909233825p:plain

3.1. 基本的思想としての「ファジー」

 ファジーとは、「概念内容に度合の選択の余地があるなど、判断する時に意味するものの範囲がぼやけているさま」*8や「境界が不明確であること。あいまいであること。柔軟性があること」*9を意味するものであるが、制度や関係が固定化する現代社会においては「選択の余地があること」「曖昧であること」は、むしろ、ポジティブさを含意するものである。
 社会を作っていく上での思想なり考え方には様々なものがあるが、大事な視点の一つに、「意思決定の変更可能性を受け入れる」ということが指摘できるように思われる。なぜなら、たとえば山口が指摘するように「批判的公共性が十全に活性化しており、他の可能性に向けて道が閉ざされていないにも拘らず、ある政治的決定や権力のルールが変更されていないでいるとき、それらは正統」*10なのであり、変更可能性が存在しない意思決定プロセスに正統性は無いからである。簡単に言えば、結論ありきの意思決定を行わないということであるが、そのためには、既存の制度やコミュニティをいい意味で曖昧にし、余白や柔軟性を持たせること、つまり<ファジー>にする必要があるのではないだろうか。

3.2. <オープンイノベーション>というコミュニケーション形態と<デザイン思考>という思考形態

 近年、数多く言及されている「オープンイノベーション」と「デザイン思考」は、ファジーという思想を実装する役割を担っている。
 オープンイノベーションやデザイン思考については、本誌においても、これまで何度か言及されているため、ここでは詳細には踏み込まないが、筆者は、オープンイノベーションは従来とは異なる新しい「コミュニケーション形態」であり、同様に、デザイン思考も従来とは異なる新しい「思考形態」であると考えている。オープンイノベーションは、「組織」および「資源」の境界をファジーにすることでコミュニケーション形態を従来とは異なるものにし、一方のデザイン思考は、「プロトタイピング」による試行錯誤を志向し、最初から完成形を求めないという意味で思考形態をファジーにしたものである。
 日本社会の問題として、「空気」によって意思決定が行われてしまうことがしばしば指摘される。そのような状況に対して、山本は「『空気』を排除するため、現実という名の『水』を差す」として「水を差す」ことの重要性を指摘しているが*11、実は、オープンガバメントの本質は「水を差す」ことにあるのではないか。たとえば、オープンデータを含む各種の「データ」は、そのコミュニティの常識に対して水を差し、「参加」は、そのコミュニティの意思決定の場や意思決定の対象そのものに水を差しうるところに意味があるように思われる。オープンイノベーションもデザイン思考も水を差すための機能である。思考形態としての<デザイン思考>が、「そもそもの課題は何か」という問いを発することで、課題自体に水を差し(=課題の再定義)、コミュニケーション形態としての<オープンイノベーション>が、「誰とイノベーティブな解を考えるのか」という問いを発することで、課題の検討プロセスに水を差す(=課題の解決方法の再定義)。地域において「デザイン思考」と「オープンイノベーション」を機能させるためには、市民社会の活動が非常に重要である。横浜市や神戸市などのように、オープンイノベーションを積極的に進めている自治体もあるが、多くの自治体はそうではない。そのような地域では、市民が「水を差す」役割を担い、地域の課題自体から問い直していかなければならない。

4 ファジーなオープンガバメントを検討する

 それでは、具体的にオープンガバメントをどのように設計すべきか。本章では、「ファジー」をキーワードに、オープンガバメントの具体的な形をいくつかの論点ごとに検討したい。

4.1. 【参加者の多様性】参加の場をファジーにする

 まず重要なのは、「参加の場」をファジーにし、多様な参加者が関われるような場づくりをする必要があるということである。まさに「よそもの」「わかもの」「ばかもの」の話であるが、それは、市民が主体となり行う Code for X などの活動でもそうであるし、行政が推進する市民参加の取組でも同様である。昨今、全国的に行われるようになった「アイデアソン・ハッカソン」などの取組は、参加者の多様性を活かしてイノベーティブな取組を行おうとするものであり、まさに参加の場をファジーにしたものである。
 「参加の場」がファジーであるということは、2つの点で利点がある。一つには、新たな参加者が生まれやすいということがあるが、もう一つ重要な点として、出ていくことも自由であるがために、後ろ向きのメンバーに退出してもらうことができるのである。これは逆説的なことであるが、参加の場のルールが曖昧で固くないからこそ、逆に自発的な参加者を生み、場のネットワークが強固なものになりうるのではないだろうか。

4.2. 【個々の主体性】ファジーな参加動機を包摂する

 福井県鯖江市役所では、女子高生がまちづくり活動に参加する「鯖江市役所JK課」プロジェクトを実施しているが、その企画者である若新は、現代社会には「ゆるいコミュニケーション」が必要だと指摘する。そして、その「ゆるいコミュニケーション」を通じて、硬直化したシステムや人間関係を「ゆるめる」という脱力的なアプローチが、逆に創造性を生み出すというが(創造的脱力)、この指摘は非常に重要である。人間関係をゆるめて、参加者の多様性を大切にするということは、言い換えれば、参加者個人の多様な参加動機を包摂するということでもある。たとえば、ある場が、最終的には「地域のため」になることを目的にしているものだとしても、個々の参加者の動機は、必ずしも「地域のため」ではなく、「なんとなく楽しそうだったから」でいいのである。むしろ、そのようなファジーな参加動機をもった人は、従来の参加には見られなかった新たな参加者であり、そのような人ほど、実は主体的にコミュニティを動かす可能性があるのではないだろうか。

4.3. 【参加の転回】参加の方向性をファジーにする

 参加者の多様性に加えて、「参加の方向性」をファジーにすることも重要である。これまでの参加と言えば、「市民が行政・政府に参加する」という一方向の参加形態が主であり、行政が場の設計者であるならば、市民は場に参加させられる存在であった。そして、そのような場で行われる議論も予定調和的であり、変更可能性などほとんど存在しなかった。これでは、市民もその場に対して「正統性」を感じるはずもなく、参加者が減っていくのも当然である。では、この場を変えるにはどうすればよいか。一つには行政側が認識を改め、市民目線での場づくりを行うようになることであるが、もうひとつとして、「市民が場の設計者として参加していく」という方向性も有効ではないだろうか。すでに事例もある。早稲田大学マニフェスト研究所が推進している「マニフェストスイッチプロジェクト」は、選挙時に市民がマニフェストのフォーマットを定め、そのフォーマットにもとづくマニフェストの作成を候補者に要請するという取り組みである。マニフェストは過去10年程度の取り組みの中で、十分でないながらも普及してきたが、そのフォーマットは候補者に任されていた。そのため、マニフェストは容易には比較できないなど、有権者が投票先を決定する上で、必ずしも有効な素材にはなっていなかった。マニフェストスイッチプロジェクトはその課題を解決しうるものであるが、この事例は、有権者側が共通ルールを作り、それに候補者が参加していくという、従来とは反対の参加の方向性を示している。先ほどの「鯖江市役所JK課」プロジェクトにおいても、「市役所職員などの大人が女子高生を使うのではなく、女子高生がまちや大人を使う。このダイナミックな関係性の転換によって、まちや大人の方が学び、変化して、地域のポテンシャルや『新しい何か』が引きだされていく」と指摘されており、参加の方向性・関係性を多様なものにしていくことの意義は大きいように思われる。
 もし行政が協働の場を必要としているのであれば、場の設計・構築を住民に任せ、そこに行政が関わっていくようなやり方もあるのではないだろうか。

4.4. 【意思決定の柔軟性】意思決定プロセスをファジーにする

 しかしながら、参加の場や方向性をファジーにしようとした場合に行政側から出てくる反応は、「そんなことをしたら、どのような結論になるか分からないではないか」という否定的なものである。だが、これは的外れな指摘である。なぜなら、市民参加やオープンガバメントにおける意思決定は、本来、自分の意思だけで決定することはできないものであり、どのような結論になるか分からないのが当然だからである。民主主義は、「自分で決めることができる」というものではなく、「自分だけでは決めることができいない」ことを要請する。
 行政が設置するこれまでの市民参加の場は、予定調和を求め、仮に参加者から意見が出されたとしても、曖昧な返事をするばかりで、最終的には何も対応しないというようなスタンスが多かったように思われる。余計なことをしたくないと考える行政の立場としては良かったのかもしれないが、これでは行政不信は高まり、地域の活力も生まれない。行政にはどのような意思決定プロセスになろうともそれを受け入れるという覚悟が必要である。だからこそ、参加者はその場に関わり、貢献したいと思うのではないか。一方で、参加者側も意識を変える必要がある。行政がどのような意思決定プロセスも受け入れるようになるということは、参加者は、もはやただ批判ばかりを繰り返すような参加者だけではいられず、場の運営をともに手伝うような役割も求められるはずである。

5 最後に:自らが手を動かし、まちを作っていく

 本稿では「ファジー」という単語をキーワードにオープンガバメントの形を検討した。この概念だけで「民主主義の過剰と不足」という状況を解決できるとは思えないが、固定化された制度に縛られてきた我々にとって、思考のヒントにはなりうるだろうか。
 丸山眞男は「民主主義を完成品としてみるのではなく、つねにプロセスとしてみるということ」が重要であると指摘したが、オープンガバメントも同様である。オープンガバメントの理念は必然的にパラドックスを含んでいる。参加が重要だとしても、参加が増えれば増えるほどコミュニケーションは成立しなくなり、また、民主主義が結局は権力闘争である以上、治者と被治者も同一にはなりえない。しかし、だからこそ、社会をデータ・エビデンスに基づいて理解しようとし、データに基づいて対話を行っていこうとするオープンガバメントが必要なのではないだろうか。完成形には達することのない、永遠にβ版のオープンガバメントを不断に改善し続けるという態度が我々には求められているのであり、そこにオープンガバメントの本質がある。
 オープンガバメントは社会を変えはしない。社会を変えるのは我々自身である。ただ、だからと言って、真面目になりすぎる必要はない。むしろ、必要なのは、ファジーな社会参加を許容するような「ゆるさ」である。同時に、政治に対する適切な理解も不可欠である。政治に対する過度な期待と幻滅は、政治を適切に理解できていないという点では同一のものである。政治にできること・できないことをきちんと見据えた上で、そして、政治にできないことがあるならば、それは市民自らの手で作り上げていくしかない。それが「民主主義の過剰と不足」という相反する2つの課題を解決する唯一の方向性であるように思われる。

*1:民主主義の過剰 - 『一般意志2.0』(http://agora-web.jp/archives/1408544.html

*2:内閣府の社会意識に関する世論調査(平成28年2月調査)では、「国の政策への民意の反映方法」として「国民が選挙のときに自覚して投票する」と考えている人の割合は16.7%であり、「政治家が国民の声をよく聞く」(25.6%)より10ポイント近く低くなっている。

*3:社会意識に関する世論調査内閣府

*4:現代日本人の意識構造(第8版)(NHK放送文化研究所

*5:「デモ」とは何か(五野井郁夫)、p211

*6:新たな情報通信技術戦略(高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、平成22年5月)

*7:日本におけるシビックテックでは、「Code for Japan」の功績は今さら論じるまでもないが、Code for Japan は、「被災地でアイデアソン/ハッカソンをやって課題を発見し、ITで解決しよう」という趣旨で立ち上がった「Hack For Japan」が前身の一つである。http://kikin.yahoo.co.jp/report/cfj.html

*8:岩波国語辞典第7版

*9:デジタル大辞泉

*10:山口節郎「正統性−手続きからかユートピアからか−」新田ら『岩波講座 現代思想〈16〉権力と正統性』134頁(岩波書店、1995年)

*11:「水=通常生」の研究(山本七平