読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

モバイル社会シンポジウム/ユースカルチャーの生態系

本日開催されたモバイル社会シンポジウムに参加してきましたが、「若者×モバイル」という視点で、大変面白い議論でした。
モバイル社会研究所 ≫ Error 404 - Not Found お探しのページが見つかりません

  • 若者の日常生活において、モバイル、ネットというものがどのような意味を持つのか。
  • コンテンツ消費、コンテンツ作成の意味は、昔の若者とどのように違うのか。

シンポジウムの中での中心的な議論としては、
「若者の中では、コンテンツそのものの価値より、コンテンツのやり取りの過程で生まれるコミュニケーションの価値が高まっている」
というものでした。

  • 「メールが気になって、ケータイを手放せない」
  • mixiの足跡が常に気になってしまう」
  • 「自分のプロフィールを、むやみやたらと公開してしまう」

というように、ネット中毒、モバイル中毒の負の側面が強調されますが、これも、現在の流動的な社会において、若者が必死に行っている自己防衛行為ではないかと思います。
「薄っぺらいコミュニケーションだ!」と言われても、常に新しい出会いがあり、多くの人とのコミュニケーションが求められる今の時代では、しょうがないのかもしれません。

現実社会がそれを求めるのか、それとも、ネットが求めているのか。
どちらかが要因なのかは分かりませんが、いずれにしても、求められた結果の行動が今のネットに現れていることは間違いないと思います。そのような生き方をする必要がある以上、批判してもしょうがないでしょう。若者の活動の裏にある意味を理解する必要があると思います。

さて、シンポジウムの様子をTwitterに実況していたので、載せておきます。
そのまま記載していますので、誤字等はお見逃しを。。。

                  • -

モバイル社会シンポジウム2009

■基調講演「モバイルデジタル文化のユースカルチャー」東京都市大学・岡部大介

基調講演:モバイルデジタル文化のユースカルチャー(岡部大介)

若者の活動を意味づけしたい。ゲーセンに行って、プリクラの調査。話しかけても無視されたり。

自分のアイデンティティーを表示しようとしているのではないか。Twitterでも自分の日常生活をだだ漏れさせている。Youtubeに自分の動画をあげている人もいる。

ニコニコ動画。同じ空間に同期しているような経験。若者と遊んでいると、ゲーセンでゲームを楽しんだあと、すぐにオンラインに情報をアップしている。ゲームの戦績を共有している。

女子高生がファミレスに集まると、情報を物々交換をしている。ONでもOFFでも情報共有。
カフェで、モンスターハンターを一緒にやっている。オンライン上で出会って、カフェに集まる。

若い人がコミュニケーションをとったりする上で、メディアは外せない。マッシュアップが簡単にできるようになってきている。

研究の目的。若者のモバイルでデジタルな生活を、どのように記述・説明可能だろうか。SNSTwitterニコニコ動画のコミュニケーションは、昔のコミュニケーションとどう違うのか。

情報を共有しようというのは、昔の若者と変わらない。では、今のデジタルなメディアの特徴は何か。面白みは何か。学生にフィールドワークに協力してもらった。同行調査、インタビュー。

学生なりに、フォーマットが共通。プリクラは安定したメディアになっている。その中で、プリクラを飾るシールをどうするか、手帳をどうするかというところで、差別化しようとしている。誰との写真を貼るかということも。

自分の生活記録を蓄積している様子も見られる。太鼓の達人というゲーム。ゲーム後に表示される得点をケータイで撮って、海外の友達と共有している。カードタイプのゲームでは、専用のサイトに得た情報をアップ。ゲーセンにいながら、常に情報交換。

情報の物々交換が盛んになっている。Twitterでも動画でも。自分で情報を生成するという土壌が出てきている。

モバイル文化の若者。1)「つながり」のための道具利用。モバイル端末を用いて生成された情報が個人に付着し、それを通して現実を構築。若者に限らず、人々がメディアにどっぷり使って、自分のアイデンティティーを表現しようとしている。

電脳コイル」。電脳メガネをかけないと見られない電脳世界がある。

2)メディアを占有し、編集、再構築するかが重要な自己表現やコミュニケーション手段。リミックス。ケータイ小説。若者がどういう文脈でどういう生活の中で、メディアを使っているか。そして、何をしたがっているのか。そのような手段としてテクノロジーを使っている様子が面白い。

■続いて、パネルセッション1「ユースカルチャーの風景」
磯光雄さん、有元典文さん、飯野賢治さん、伊藤瑞子さん(skypeで参加)、モデレーターは岡部大介さん。

岡部:前半は電脳メガネの話。後半は、リミックスの話をしていきたい。今回は電脳コイルフェチの方々に集まって頂いた。どんな印象を受けたか?

有元:ドコモケータイからGYAOで見た。1本210円。別のリアリティーを見させてくれる。未来の物語を見た。物語にしたお陰で、テクノロジーが分かりやすかった。作品自体は、テクノロジーではなく、コミュニケーションの作品。電話のように、若者の生活に技術が溶け込んでいる。

飯野:今っぽい話だと感じた。オンラインという別メディアをメガネを通して描いた。初めての作品。それが響いたのではないか。

岡部:別空間というのはおもしろい。ツールを通して別世界が広がってくる。

磯:今日来ている人がどれくらい伝のコイルを知っているか分からないが、教育テレビで数年前に放送されていた。バーチャルリアリティーとは違う、現実に根ざしたバーチャルを描いた。

岡部:電脳コイルを見たことがある人?

会場:8割、9割。

磯:レイヤーという話があったが、そういう感じにならないように脚本を考えていた。元々は、作品を見た子供がびっくりすることを予想していたが、実際は、技術者が食いついてきた。拡張現実の先生と議論をする中で、作っているときは気づかなかったことが分かってきた。

磯:それは、仮想現実とは、数万年前からあったのではないか、ということ。そもそも、視覚が2次元。入っている情報をいじっている。また、認識行為自体も脳が無ければ発生せず、それは可能ではないか。見ている世界そのものが仮想。

有元:同感である。言葉があるが、デザインドリアリティー。デザインされたリアリティ。仮想。

磯:若者は、ケータイごしに現実を見ている。意識してやっているわけではないが。その現象を端的に表したのが「電脳コイル」。子供がメディアを使ったコミュニケーションにどっぷり浸かっている。

伊藤:電脳コイルがものすごく大好き。子供文化を研究している人類学者として、子供の社会性を研究している。バーチャルを使いながら、自然にコミュニケーションを取っている。メディア、バーチャルリアリティーを通してコミュニケーションをしているのが、現在の若者の自然な姿。

岡部:バーチャルなもの、特に、ケータイ、SNSを使って、普通の人がコミュニケーションを取っていることについて。飯野さんは、ONとOFFがはっきり分かれていると聞いたが。

飯野:ネット、PCが実は嫌い。PCは会社だけ、家には無い。ONとOFFをはっきりさせている。新しい物は好きだし、ガジェットは好き。そういう物に触れているのは気持ちいいが、物作りをしている以上、現実から刺激を受ける必要がある。ゲームだけをしていてはゲームは作れない。現実の経験。

飯野:昔は、みんながやっているけど、おれはゲームしたいという人がいたが、今は、みんながケータイをもって、同じコミュニケーションスタイル。俺は持たない、という人がいない。

岡部:今は、ケータイもゲームもアニメも同じ物を共有している。

飯野:みんなが見ているものを見てコミュニケーションをしようというのは分かるが、本当は、他の人が見ていないものを見た方が情報価値はあるはず。そういうことは無いのか。

岡部:違う物があってもいい。でも、同じジャンルでつるんでいるような感じ。

飯野:昔は、多チャンネル化になると言われていたが、そうなっていない。色んなチャンネルがあっても、見ている物は同じ。

伊藤:今は、何かがプラットフォームになってくると、それに参加していないと友達とコミュニケーションが取れない状況。同じプラットフォームを使いながら、その中で、個性をどう出すかということを考えている。同じアニメを見ないというのはありえない。それが今の子供の動き。

磯:テレビ局はプラットフォームではなくなっているが、いつでも見られる状態になっているのは、昔との大きな違い。提供する側が独占しているPF(プラットフォーム)がいつまで続くか興味深い。

岡部:共通のプラットフォームにいながらも、少し違うことをやる。自分らしさをアピール。そこが彼らのやっている面白さではないか。

有元:若者とはいったい誰なのか。条件設定をした方がいい。ハイソサエティーもいれば、ケータイをもてない人もいる。

岡部:昨日の打ち合わせを違うことを言われるなぁ(笑)

岡部:プリクラ帳はみんな持っている。

有元:それは安いから。Twitterというブルジョワジーなものは、一部の人だけ。

磯:若者というテーマを聞いたときに、困った。自分はもう若者ではない。若者とは誰を言うのか。モスキート音が聞こえなくなったら若者ではなくなるのか。自分を思い返せば、若者のときは、若者らしいことをやっていなかった。若者じゃないと思うタイミングも人それぞれ。

磯:元服は、人為的に設定され物。人為的に設定しない限り、若者/大人という区切りは存在し得ないのではないか。

磯:昔は団塊の世代がいて、大人と若者の境目ははっきりしていた。イデオロギーを持っているかどうか、ノンポリかどうか。今は。。。

飯野:大人になったと思ったのは、子供が生まれたとき。子供の時は子供だと言われることに抵抗があった。若者の定義は何なのか。二十歳前後は子供ではない。昔では子供を産んでいた。

岡部:ユースカルチャーの研究の中で定義はあるのか?

伊藤:若いか若くないかということではなく、あるメディア環境をベースとするアイデンティティーの違い。今の子供は、NET世代で、その特徴は大人になっても消えない。小学生〜高校生くらいまでに浸っているメディアが、後世にも影響していく。

伊藤:ポップカルチャーのアイデンティティーは、高校時代に固まって、そのまま大人になる。30過ぎてから新しいメディアを取り入れるのは少ない。高校という世代を研究することで分かる。

磯:アニメに出てくるメカのテカリ方が違う。なみなみとしたハイライトは淘汰されていった。阿久悠さんという作詞家。最近の人が作る歌は味気ないと。昔はダイヤル電話。プッシュホンはつまらない。ダイヤルが戻ってくる時間に情緒があった。だが、それぞれの年代に情緒はある。ケータイにもある。

磯:それぞれの思い入れは、それぞれの世代にある。

岡部:どういう世代で何を浸かっていたかと言うことを抜きにしては語れない。有元さん、飯野さん世代はどう?

有元:昔は、女の子の家に電話をすると、恐い親父が出た。玄関に置いてある電話からかけていた。コンピュータは、高校生の時から触っていたが、何も出来ない。通信も計算も記憶も出来ない。

磯:パソコンは、メインテクノロジーではなかった。

飯野:パソコンを持ったときに、街の偉い人が見てきた。名前を入れて表示させるだけで、感動していた。小学校で持っているのは僕だけだった。あの頃は、みんながやっていないことをやりたかった。みんなと同じ物を持っているのは嫌ではないか。息苦しい。

磯:自分もそう。周りがやっていることはやりたくなかった。

飯野:昔は、流行っていることをやらない人も1/3くらいはいた。今はその存在がいない。

磯:孤立しても何かが出来る存在がそうなる。周囲から供給されなくても存在できる。その時代の流行に合わせている人は大多数ではいられるけど、作り出す側にはなれない。世代の問題では無いのではないか。

岡部:リミックスの動画を紹介してもらいたい。

伊藤:イノベーションが、マスメディア時代と違って、メディアを受けるのではなく参加する。個性を求めている場所が違う。マスメディアはみんあが見ていているものを見る。それが嫌ならメディアの外を探さないと行けない。今は、自分たちで作ったり知っているのが特徴。

伊藤:今回の映像は、その一つの例。

伊藤:ブリトニースピアーズのファンが作った動画。

伊藤:ブリトニーがいじめられていることを悲しんで、ファンがメッセージを発しているのだが、その動画をもとに、数多くのリミックス動画が出てきた。

伊藤:動画に出たアマチュアの人が、マスのCMに出たりして、プロとアマチュアが同じ層に流れている。今までの、プロシューマ、コンシューマという枠には収まらない。

伊藤:YouTubeに載せた動画が人気で、それで稼いでいるらしい。

伊藤:ただ、今回の事例も、ブリトニーという共通の存在がいたからこそ作成した動画が注目される訳で、YouTubeという共通のPFが無ければこのようなことも起こらない。

磯:伊藤さんがPF(プラットフォーム)といっているのはどういうものか。マスとPFとの違いは。

伊藤:普通は、PFはテクノロジーのことを言っているのだと思うが、コンテンツ自体もPFになる場合もある。一般的には、共通のテクノロジーがPFではないか。

岡部:アマチュアの作品は面白い。

飯野:それはどこ?

岡部:お金にならないのに頑張っているところ。ただ、ネタもとを共有しないと厳しいのではないか。

有元:元のビデオの価値はどうなるのか。本気で悲しんでるメッセージを出しているのに、リミックスで、揚げ足をとっていいのか。

飯野:バイトがゴキブリの唐揚げをあげたりしている様子を動画にあげていたが、それとあまり変わらないのでは。音楽載せてリミックスするだけでは、価値がない。再生回数の酔ってしまうところもある。足跡の誤解。

有元:名声を誤解させる仕組みになっている。

伊藤:プロのクリエイターから見ると、アマチュアは足りない部分はある。ただ、若者文化の価値観はクオリティーではなく、共通のコミュニケーションが取れているかどうか。一緒に笑えるかどうか。コンテンツだけを見るのではなく、ソーシャルコミュニケーションの中で友達の間で取り上げられるか。

磯:引用元を探すのがオタクの定義ではないか。「作者がこういう経験をしたから、こうした」という裏情報を言いたがる。そういうことを知っていることに価値を求める。二次創作を作りたくなる物が、一次創作。同人誌の同人誌は出ない。

岡部:パネル2の方々から質問があれば。

濱野:二次創作、リミックスについては、後で伺いたい。若者、大人の定義に関する話題があった。オタクとギャルというクラスターがあった。80年代から出現し始めた。この30年間、形を変えながら存在してきた。消費社会化がいきついた中で、付加価値を付けようとした。オタクもその流れの一つ。

濱野:海外だとユースカルチャーは、黒人社会など、社会階層、労働階層にひも付けられている。その辺の違いをお伺いしたい。

伊藤:アメリカも日本と似ている。オタク的な要素が一般化しているが、アメリカも同じ。テクノロジーが文化的地位を気づき始めている。MySpace、Facebookを使ってコミュニケーションを取っている。アメリカでは、Twitterは、大人のツールになっている。大人が使っていて、若者は嫌がっている。

伊藤:アメリカで言うオタクは、アニメ好きということ。ステータスは低い。

小川:パソコンという道具がPFだと思うが、ケータイがPFだとすると、どうなるか。

飯野:次のケータイは、ケータイで動画編集も出来るらしい。

有元:ますます有能感を誤解させるツールが増えてしまうと思っている。大人は、子供の誤った有能感を修正しないと行けない。

#第一部は終了#

■第2部イントロダクション■

・ケータイの進化について。利便性と表現力の向上してきた。「画面サイズの大きさ」と「持ち運びの容易性」を両立させる必要がある。

・1)電子ペーパー、2)次世代ディスプレイ、3)携帯向けAR技術

・モバイル×デジタルの相乗。1)情報のデジタル化(大量の時点も1GBに)、2)自由交流の時代(1980は知識ビックバン、今は情報ビッグバン)、3)モバイル×デジタルの相乗

・セッション2では、インターネットのモバイル化、未来のモバイルについてディスカッションさせて頂く。

■パネルセッション2「ユースカルチャーのデザイン」

山本貴代さん(博報堂)、安藤幸央さん(3DCG)、濱野智史さん(批評家)、モデレータは小川克彦さん(慶応教授)

小川:社会科学の視点からケータイの話をしたい。最初は、パネリストからプレゼンをしてもらいたい。

濱野:アーキテクチャーの生態系という本を出した。日本の、2chニコニコ動画をアメリカのサービスと比べて分析を行ってきた。

濱野:今日のテーマは3つ。1)日本のニコニコ動画におけるRemixカルチャー。N次創作。2)若者がソーシャルメディアにコミットする理由を社会学的に説明。つながりの社会性。3)ARのキラーアプリを未来予測。ニコニコ現実、ソーシャルAR。

濱野:キータームは日本語化したい。Remix→N次創作。Social→つながりの社会性。アメリカの現象が日本に入ると変わってしまう。日本語に置き換えたい。

濱野:「N次創作」について。以前は二次創作。今はN次創作。連鎖が増えてきた。ニコニコ動画における「N次創作」が増えてきている。作品の素になるキャラクター、世界観も、ユーザ側が追加していく。

濱野:N次創作の時代になると、ノードとノードとの間のエッジがコミュニケーションとして消費される。

濱野:つながりの社会性について。ソーシャルという言うが、ケータイ中毒になっている状況は、どこが社交的、社会的なのか。ケータイをもったサル。

濱野:北田さんの概念。つながりの社会性は、伝えるべき内容はないが、繋がっていることを確認することが目的。自己目的側のコミュニケーション。ケータイやSNSは、つながりの社会性を満たすソーシャルメディア。

濱野:なぜ、つながりの社会性にコミットするのか。大学入学直後の学生を調査すると、人間関係の距離感を測定するメディアになっていることが分かる。mixiの足跡、コメントを見て、友人との距離感を測っている。「人間関係のGPS装置」(土井さん)。

濱野:ARについて。拡張現実。1)「ニコニコ現実」という方向性。ニコニコ動画に付けるようなコメントを現実世界で付けてしまう。2)ソーシャルAR。拡張された社交性。その場の「空気」や人間関係の「距離感」を読むためのAR技術。

安藤:ARは、「発表時間がオーバーしているぞ」と伝えられるようになればいい(笑)

安藤:「時」。同期したコミュニケーションか、非同期か。疑似同期という概念は重要。Twitterが流行している。高校生の間でもミニブログが流行っている。メールとは違って、返信義務もない。切迫感もない。

安藤:スローコミュニケーションがあってもいい。ゆるくつながる。そばに居る。

安藤:「全」。eye-fiという技術。撮っただけで、写真がアップされる。

安藤:「字」。「ぉはよう」と字を小さくするのは、変換で「あ」から逆順で選択している。「お」を選択するのは面倒。テクノロジーの過渡期にある。新しい入力方法が必要。

安藤:「文」。コミュニケーションコストを下げることが大事。手間、費用。一方、コミュニケーションの強度を強めようという方向。

安藤:「友」。Pokenというデバイス。デジタル名刺。アイコンが微妙に可愛くないために、デザインをカスタマイズして使っている。共通プラットフォーム上での、オリジナリティ−。

安藤:「壁」。世代によってデジタルデバイドがある。テクノロジーをうまく使うことで、乗り越えられる。ケータイメールが使えないお年寄りが、紙にメモを書いて写真で送っている。ある意味、ブレークスルー。絵文字も送れる、地図も送れる。

安藤:「心」。感情の共有、想いの共有。どんなにテクノロジーが進化しても、人がいるかぎり「面白い」。

山本:コドモとオンナとケータイ。今のコドモは、学校で関係確保、家で休息確保、興味関心で自我確保。

山本:少子化なのに、友達数は増えている。ITで人間関係をマネジメント。前のクラスの友達とも付き合っている。「友達の話を一番知りたい」というコドモが増えているし、深く付き合いたいと考えている。

山本:ITで友人関係をマネジメント。電話よりメールが主。メル友数は、25人もいる。会ったことないメル友が10人。友人関係に濃淡をつけるコドモは4割。

山本:家が休息の空間になっている。ポスターはあまり貼らない。すっきりした部屋。部屋には机と本しかない。小6が、「部屋がいやしてくれる」と言っている。

山本:中学生の女子があげる本のTOP5には、ケータイ小説が名を連ねる。説明書を見ないでデバイスを利用するコドモも以前より増えている。コドモにとって、「ケータイは、友人関係を保つライフライン、癒し、開放」。

山本:女性たちのケータイ生活。女性研究ラボをやっている。メールで直接調査。平日家に帰ったあとは、電話よりメールが主になっている。ネイルも流行っている。OLは、あまりデコ電をしていない。2万円かける人もいるが。主流はシンプルでかわいいもの。

山本:ケータイとは?「緊張感をなくすツール」デートに誘う男にも覚悟がない。「自分を映す鏡」「ちょっと気になっている異性みたいなもの」「自分の部屋」「精神安定剤」「麻薬」「話し相手」「優秀な秘書」「一心同体の宝物」「思い出アルバム」。

山本:女性にとって、ケータイは、自分自身であり、癒しであり、ちょっとどきどきする存在。

浜も:話を聞いていて、ユースカルチャーは文化ではなく、コミュニケーションだと再認識した。今までのカルチャーももちろんコミュニケーションの要素はあったが、今は、その点が強まっている。Pokenのデザインカスタマイズも、N次創作の特徴。可愛くないから、可愛くしたkなる。

濱野:1次創作がプロである必要は無くなってきている。完璧ではない方が、N次創作されやすい。

小川:ソーシャルコミュニケーション。Remixは作品ではないという話もあった。個人的には、作品というと、鉄腕アトムとかがイメージされるのだが、今の人にとってはどうなのか。Remixも作品だと思っているのだろうか。

小川:Remixにもメッセージが無い訳ではない。リンクにメッセージ性が出てきている。

濱野:絵文字も誤解されたくないから使っている。今は、誤解されることを恐れている。インターネット上、ブログ上だと、誤解されることが嫌。コミュニケーションは誤解されることを増やすこと。文章を論理的に書けば書くほど、誤解が生まれていく。誤解が生まれないコミュニケーション方法。

安藤:山本さんのプレゼンで気になったことがあった。読んだ本のTOP5でケータイ小説がしめられていたが、ケータイ小説を入れなかったら、どうなったのか。

山本:本になったケータイ小説も入っている。

小川:大学の授業でケータイ小説を読んでいるか聞いたら、ほとんどいなかった。高校生だけなのか。

山本:恋空を読んだが、最初は良かったが、途中で飽きてしまった。

安藤:読み物というより、コミュニケーションツールなのではないか。後世に読まれる物かどうかは分からない。

小川:コンテンツそのものにメッセージが載っているというより、友達関係を確認するツールなのではないか。そのために読んでいるもの。

濱野:ニコニコ動画がおもしろいのは、動画を見ながらコミュニケーションをしていること。切り離せない。ケータイ小説は誰が読んでいるのか。セカチューあたりから、同じような現象が発生していた。流行っているらしいけど、周りでは読んでいない。

濱野:ケータイ小説も、地方で読まれているらしい。東京ではあまり読まれていない。中央が流行を伝えることなく、地方で勝手に広まっていく。恋空は、郊外の人であれば共感できる要素が詰まっている。自然など。東京→地方という流れではなく、地方独自の流行。

山本:静岡で育った。ケータイ小説は、男子ではなく女子が読んでいる。

濱野:読んでいて泣いた。ケータイではなく本で読んだ。ポイントは文体。幼稚かもしれないが、ケータイで読むことを考えれば適しているのかもしれない。ケータイを使っている人に共感できる文体、無いようになっている。

安藤:心の動かされ方は色々あるが、ケータイ小説は、普段の生活の心の動かされ方と同じ。個人的には、びっくりするもの、驚く物に出会っていきたい。

小川:コンテンツのメッセージが無くなって、創作するプロセスにメッセージが埋め込まれてきている。インタフェースがコンテンツを変えてしまってる。新聞とネットでは、記事の書き方が違う。ケータイで読むと言うことは、メッセージはどこにあるのか。

濱野:ケータイコミックだと、読んでいるシーンで携帯が震える。

小川:今のコドモが育っている環境では、メッセージが込められるのはコンテンツだけではなく、リンクにも込められるかもしれない。メッセージの置き方はどうなるのか。

岡部:山本さんの調査で、大人で会ったこと無いのにメールのやり取りをしている人がいると。一人あたり8.3人とやりとりをしていると。これは驚きであった。

山本:どうやって、メル友を作っているのか。

安藤:mixiやチャットではないか。

山本:知り合いでもいる。

有元:それを友人と定義しているのか。会う予定が無くても友人なのか。友人の定義が変わったという印象を持っている。

山本:1回話せば人だと言っている。

会場からの質問:RemixiとN次創作の概念。ネットを使わなくてもN次創作は可能。日常の会話でも同じ事が言える。ケータイ小説について。中身が若者向きということもあるが、リアルタイム更新が魅力なのではないか。出版する本でケータイ小説を作ろうというのは難しいのでは。

濱野:「場」もRemix可能になってきている。「場」はその場限りの唯一性があった。今は、いくつかのレイヤーの重なり合いに過ぎない。若い人の特徴で、「選択的人間関係」。人間関係が薄くなったのではなく、都市化の流れの中で、多くの人と付き合うためのマネジメントが必要になっている。

山本:ケータイ小説も、ケータイじゃないと面白くない部分もあるかもしれない。

安藤:エンターテインメントが、ケータイという画面・機能の中で、求められている物が変わってきている。今までの、エンタメをそのまま載せるのではなく、ケータイならではのエンタメが必要。新しいクリエイターが生まれてくる過渡期なのではないか。

小川:ケータイで読むなら、ご当地ドラマを読みたい。行きの電車で課題を伝えて、帰りの電車で答えを伝える。

会場からの質問:「昔は流行っていないコンテンツをあえて選択していた」という話があった。今は、コンテンツではなく、サービスを選択しているのではないか。PFの話もあったが、インフラとPFとコンテンツが一体化した中で、コミュニケーションPFが選ばれる。

会場からの質問:「小学生にケータイを持たせるな」という議論があるが、疑問を持っている。コンテンツとしてのサービスの消費があると思うが。

濱野:差異化することも難しくなってしまう。島宇宙化。コンテンツでは差異化が難しい。その中で今起きているのは、コミュニケーションの場を切り替えることで、クラスターを切り替えている。2chが好きな人とmixiが好きな人は違う。すぐ分かる。

小川:時間が来たので、終わりにしたい。ありがとうございました。

■ラップアップレクチャー(小川)

小川:モバイル文化は、2000年くらいから始まった。iモードが普及して、NW基盤が築かれ、写真、映像の共有という流れが出た。一方で、mixiTwitterという「おしゃべり系」の流れも出た。こちらが主流になった。ON(ネット世界)の流れ。

小川:OFF(リアル世界)の流れとしては、カメラ、アニメ、ゲーム。その結果、ONとOFFの融合。境界が曖昧になることが重要。

小川:学生の映像で、ダブルスクリーンの映像。二つの視点、二人の視点からの映像。アマチュアでもこのような作品が作れるようになってきている。

小川:弱い絆だけど、新しいつながりを求めているのではないか。

以上