@kedamatti's diary

米山知宏の思考メモです(専門は、知/情報/自律的な組織づくり/プロジェクトマネジメント/ナレッジマネジメント/コミュニケーション/オープンガバメント/民主主義/市民参加/シビックテック)

豊饒の海(三島由紀夫)

やっと豊饒の海を読み終わった。

第一部・春の雪
第二部・奔馬
第三部・暁の寺
第四部・天人五衰

すごいの一言に尽きる。
本当に何とも言えない世界だ。

第一部の春の雪は、ただの恋愛小説としておもしろいと思って読んでいた。で、そのままの流れで第二部・奔馬も続くのかと思いきや、第一部の主人公の生まれ変わりが、第二部を引っ張っていく。これには本当に驚かされた。一気に「豊饒の海」に引き込まれた。

第三部、第四部でも、次々と生まれ変わりが現れてくる。そして気づけば、話の内容は、第一部で書かれた恋愛小説ではなく「生と死」。
いきなり「生と死」について書かれてもあまり読みたいとは思わないが、第一部、第二部で興味の持ちやすいストーリーを作りつつ、主人公が生まれ変わるということで第三部以降に話が続いていくため、そのような重い内容にも簡単にのめり込める。三島がそのような意図を持ってこの豊饒の海を書いたわけではないと思うが、そう感じた。

読み進める中で、豊饒の海の海に登場する主人公(?)の本多が、三島由紀夫本人なのではないかと錯覚しつつ読んでいた。第二部を読んでいたときは、勲こそが三島ではと思わされたのだが、最後の第四部を読んでいるときには、本多が三島ではと思わされた。
けど、よくよく振り返ってみると、三島は、本多でもあり、清顕でもあり、勲でもあり、ジン・ジャンでもあり、透でもあり、聡子でもあるのかな、とも思う。

三島が自殺をしたのは、勲と同じ心境だったからか?
それとも、物語の最後で繰り広げられる本多と聡子の会話の中に、その理由があったのか?

豊饒の海(wikipedia)